気になるあの子はキョンシーでした 拾壱

「オラ憂太! いつまで待たせんだ!!」
 真希に呼ばれた憂太は小走りで皆のところへ向かった。折本里香の解呪に成功したはいいけど、四級からの再出発。ま、あの呪力量だし術式も良いもん持ってるからすぐに特級になるだろうけど。
 後ろからカツカツとヒールの音がした。 
「あれ、硝子も見送り? 珍しいじゃん」
「コーヒー買うついでだよ」
 白衣姿のまま、缶コーヒー片手に腕組みをして寒さに耐えながら硝子も憂太を見ている。
 硝子はどんな患者でも治療するけど、特別扱いはしない。それでも自殺未遂を繰り返していた憂太を何かと気にかけてたみたいだった。
「彼、変わったね」
「そうだね。自分の力をコントロールする術を学んで自信もついたし、仲間もできた」
 憂太も硝子に気付いたらしく、こちらに手を降った。その手の薬指には指輪が光っている。
「憂太、まだ指輪着けてるんだよね」
「そう簡単には外せないでしょ」
 お前が言うなって感じの顔で硝子が僕の首元を見る。
「まぁね」
 僕は襟元に手を突っ込んで、服の下に隠した革紐を引っ張り出した。革紐の先には指輪が結んである。これはあの子とペアで買った指輪だ。
 
 あの子が動かなくなったのは主従関係を解除してから一年と半年後だった。カッコつけた割に住む場所をすぐに用意できなかったんだけど、ラスト半年は高専卒業後のフリー期間と重なったから結果オーライだと思ってる。二人でいろんなことをした。あの映画館には何度もお世話になったし、公園の散策もした。全身にドーランを塗ったら意外と自然だったから、一緒にカフェにも行ったし街歩きもした。その時に買ったのがこの指輪だ。本当はちゃんとした式を挙げて皆の前で指輪を交換して愛を誓いたかったんだけど、彼女が断固拒否するから指輪の交換と写真撮影だけになった。しかもその写真だって家族写真の延長みたいな感じ。「呪術師が簡単に儀式めいたことをしてはいけないし、人前で誓いを立てるものじゃない」って怒られちゃった。でもその代わりに彼女には白っぽいレースのワンピースを着てもらった。手にはもちろん水仙のブーケ。最初は渋ってたけど、撮った写真を見たらまんざらでもなさそうな顔をしてたのを覚えてる。
 ある朝、彼女が僕の隣で目を瞑って横になっていた。いつもだったら僕が起きる時には彼女が目をぱっちり開けておはようって言ってくれるのに、その日は僕が声をかけても目を瞑ったままだった。最初で最後の彼女の寝顔はとても幸せそうだった。
「憂太から里香ちゃんの話を聞いたとき、あの子のことを思い出したよ。立場は違えど人と人でないモノの恋愛は大変だな、なんて同情してたらまさかの親戚だったなんてね。誰の血がそうさせるんだか」
「道真の血でしょ。大宰府に流された時に、道真を慕って庭の梅と松が一緒に飛んでいったらしいじゃん」
「飛梅と飛松か。そういえばそんな話もあったね」
 きゃ、罪作りな血。
 ふざけてぶりっ子してみたら硝子に無視された。最近、硝子が冷たい。
「愛ほど歪んだ呪いはないんだろ? じゃあ五条もさっさとあの子をお前の呪いから解放してやらないと」
「はぁ。分かってはいるんだけどね」
 自分のこととなるとなかなか難しい。
 愛とは執着だ。執着を手放すのは簡単じゃない。憂太は大事な仲間の危機を目の当たりにして、「里香ちゃんと同じところへ行く」と宣言した。あの瞬間に憂太は里香ちゃんの死を受け入れて「里香ちゃんの生存」への執着を捨てたから、解呪が成功したんだと思う。
 だとするとあの子の魂はどうしているんだろうか。動かなくなってから七年くらい経つけど、未だに僕はあの子への執着を捨てられずにいる。
「はぁ。里香ちゃんみたいに僕に会いに来てくれないかな」
 五条家に残されてた記録を見る限り、彼女は地獄行きだ。僕だって天国に行ける気はしない。あの子の魂には申し訳ないけど、ここまで来たら僕が死ぬまで待っててもらって二人一緒に地獄に行きたい。
「どっちかというと、なんでこっちに来たんだって地獄の入り口で大暴れするタイプじゃない?」
「あー、想像できちゃった。鬼にちょん切られた腕を投げつけられそう」
「ウケる。動いてたときと変わんないじゃん」
「確かに」
 僕も地獄に行ったらそうなるのかな。それはそれで面白そうだ。
「傑はあの子に会えたかな」
「今日はやけにスピリチュアルなこと言うね」
「僕だってセンチメンタルな気分になるんだよ」
 硝子は缶コーヒーを開ける。飲み口からは煙みたいな湯気が細く立ち上った。
「どうする? 五条が死んで地獄に着いた頃にあの子と傑がカップルみたいになってたら」
「まさかぁ! 確かに傑はかなりモテてたけど、あの子はぱっちり二重の顔が好きなんだよ」
「分かんないよ? あの子、寂しがりだったから夏油に付け込まれてるかも」
 そう言われると途端に不安になってくる。傑は相手の欲しい言葉を、欲しいタイミングで言うのが得意だった。地獄で再会したら寂しくて浮気しちゃうかもしれない。
「ちょっとお墓参りして、あの子に釘刺してくる」
「めんどくさ。冗談を真に受けんなよ」
 硝子は眉間に皺を寄せてコーヒーを啜った。

「どっちにしてもそろそろ行こうと思ってたんだ。水仙の花が出回る時期でしょ」
 本当はお盆の時期に行くべきなんだろうけど、最近は異常気象のせいか夏の自然災害が多いせいでお盆ごろまで忙しい。最繁忙期を抜けたら今度は姉妹校交流会が待ってる。だったら思い切って冬のこの時期の方がゆっくりできる。彼女の好きな水仙の花も持っていけるしね。
「今年は私も行こうかな」
「いいねぇ。あの子も喜ぶよ」
「シナモンフォカッチャでも持っていこうか」
「懐かしいな。最近あの店に食べに行ってないや」
 もう十年も前になるのか。あの時はまだあの子への気持ちに気付いてすらいなかった。うっすら好きだったとは思うけど、まだあの子を「動く死体」としか認識してなかったからなぁ。あの子に「ずっと人間扱いしてくれ」たって言われた時はだましてるような気がして胸が痛んだっけ。
「そういえば結局あの子とはどこまでやったの?」
「硝子のえっち。セクハラで学長にスピークアップするよ」
「ああ、ごめん。呪術的な興味があったから聞いてみただけなんだけど、まさか五条がセクハラを気にするタイプだとは思わなかった」
「なんかやけに辛口じゃない? 親友を殺して傷心中の同期をもう少し労わってよ」
「冬は缶コーヒーが冷めるの早いな」
 硝子の顔にめんどくさいって書いてあった。あの子が額に付けてた呪符よりも分かりやすい。ひどい。
「で、呪術的な興味って?」
「簡単に言うと、本人の認識が呪力の質に与える影響について。彼女の場合、皆が知ってるキョンシーの弱点をそのまま引き継いでる。理論上は彼女に童貞の体液だと知らせなくても、その体液に触れたらダメージを受けるはずだ。でも医学的には童貞だろうが非童貞だろうが同じ種類の体液なら成分に違いはない。それでも呪術的な違いが生まれるのだとしたら、それは本人の認識が呪力の性質に何らかの影響を与えている可能性がある。脳と呪いの関係を解き明かす手がかりが見つかるかもしれない」
「熱心だね」
「この手のサンプルはなかなか見つからないから」
「別に話しても良いけど長くなるよ? 硝子、本当に聞いてくれんの?」
 僕だってあの頃は今よりも若かったから、その点に関してはものすごく努力した。あの子を傷付けないように、あの子が負い目を感じないように細心の注意を払った。全米が泣いた純愛ラブストーリーだ。
「この酒を一本……いや、ニ本で聞いてやるよ」
 硝子はそう言ってスマホの画面を見せてきた。
 擦りガラスみたいな細身のボトルだ。首のところだけが白くて胴は黒っぽい。ワインみたいだけど、酒造メーカーのロゴはどう見ても日本酒のそれだ。お値段、一万二千円也。
「いいよ。その代わりノーカット特別版で聞いてもらうから」
「それなら追加の酒とツマミも用意しないといけないな」
「そうだよ。冬の夜は長いから」
 オールする元気はもうないよ、って片手をひらひらさせながら硝子は建物の中に戻っていった。

 耳が痛くなるような静けさが訪れた。
「会いたいなぁ……」
 溢れた言葉が吐いた息と一緒に白い煙になって空に昇っていく。一人になると、どうにも気持ちが落ち着かない。これまでの人生を否定するつもりはない。一般企業に就職した七海は戻ってきてくれたし、次の世代も育ってきてる。僕の望む世界に少しずつ着実に近付いているのを肌で感じられるのは素直に嬉しい。
 でも誰よりも愛してる人と親友が向こうに行ってしまった喪失感を埋められるわけじゃない。上層部絡みの腹立つ案件があった日なんかは、全身を掻き毟りたくなるような寂寥感に苛まれる。酒が飲める体質だったら危なかったね。アル中まっしぐらだった。
 ―五条くん。
 不意にあの子の声が聞こえた気がした。
 ―またいろんなお話、聞かせてね。
 ああ、これはあの子が動かなくなった日の夜、最後に交わした言葉だ。あの子がいなくなってから、面白い話や出会った人のことはノートにメモしてある。僕が向こうに行ったときにちゃんとあの子に話して聞かせてあげられるように。なかなかノートに書く時間が取れなくて、まだ二冊分しか書けてない。これじゃああの子がガッカリしてしまう。
「久しぶりに書くかな」
 憂太と里香ちゃんのことは絶対に話したい。あの子はそういう話が大好きなんだ。
 
 いつの間にか雪が止んでいた。鈍色の空から太陽が覗いている。
 自分の指輪を服の中に戻した。外気に触れてすっかり冷たくなった指輪はあの子のひんやりとした指先みたいだった。
 もう少し、いやまだまだ頑張らないと。
 僕は服の上から指輪をしっかりと握りしめた。

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