ご召喚は計画的に - 3/4

前向きにご検討いただけますと幸いです

「日車さんこんばんは!」
「後にしてくれ。今忙しいんだ」
 人間は良くも悪くも環境に順応する生き物だ。以前の日車であれば、悪魔の突然の来訪に驚いたことだろう。だがあまりにもしつこく現れるせいで、もはや眉一つ動かさなくなっていた。
「五分だけ! 五分だけでいいんでお時間いただけませんか? 日車さんが見てるその配信ドラマ、もうすぐエンディングなのでそれが終わってからで大丈夫ですから」
「おい!」
 悪魔の言った通り、日車がスマホで観ていた配信ドラマはいよいよクライマックスかというところでエンディングテーマが流れ始めた。日車は恨めしそうに後ろを振り返る。
「知ってるか。ネタバレは時に暴力事件に発展することがある。海外では映画館のロビーでネタバレを叫んだ男が、まだ観ていない客に殴られて流血騒ぎになったそうだ」
「これってネタバレになるんですか? 残り時間で分かることじゃないですか」
「それはそうだが、気持ちの問題だ」
 日車は深い溜息を吐いて動画配信アプリを閉じた。そして彼女に向かいの席を勧めた。悪魔は嬉しそうに椅子に腰かける。
「日車さん、最近溜息が多いみたいですけど、お疲れですか?」
「それを君が聞くのか?」
「はい?」
 日車の溜息の原因が自分だとは全く思っていないようで、悪魔は不思議そうな顔をしていた。
「いや、気にするな。何か飲むか? と言ってもコーヒーくらいしか用意できないが」
「……急に親切にされると不安になるんですけど」
「他意はない。俺がコーヒーを飲みたくなっただけだ。二人いるのに自分だけ飲むのも居心地が悪いだろう?」
「ああ、なるほど。ではお言葉に甘えて……」
「分かった。少し待っててくれ」

 日車はお湯が沸くのを待ちながら、例の任務について考える。悪魔のことに気を取られるあまり、本質を見誤っているのではないか。呪術師の仕事は呪いを祓うこと、そして呪いの被害が拡大しないように目を光らせることだ。確かに件の被害者は悪魔のチラシを持っていたし、そのチラシで悪魔が呼び出せるという噂もある。けれど調査をしても被害者と呪いとの関係は見出せないのであれば、呪いが原因である可能性は極めて低い。呪いと無関係であれば呪術師としてできることはない。あるとすれば、チラシの噂から本物の呪霊が産まれて悪さをしないよう巡回したりチラシを回収してもらうように各所へ働きかけたりするくらいだろう。実際、日車もQRコードを読み込んで何も起きなければそうするつもりだったのだ。
 ドリッパーにコーヒーの粉を入れながら、悪魔の様子を覗う。少し目を離した隙に、テーブルの上に悪魔サービスの案内冊子を並べていた。
 ――もう少しロマンがあると思っていたんだが。
 悪魔と取引をしたという伝説が残っているファウスト博士は、魔術書を開いて呪文を唱えてメフィストフェレスを呼び出した。そしてこの世のあらゆる快楽と自身の飽くなき知的探究心を満たす代わりに、現状で満足してしまった時は魂を悪魔に渡すという契約をしたのだ。かの有名な「時よ止まれ」の台詞を書いたゲーテは詩人である。それ故に神秘的で美しいシーンになるよう創作したのだろう。が、それにしたってQRコードを読み込んで保険営業のようにパンフレットを広げながら取引するのはあまりにも気軽すぎる。
「日車さんって豆にこだわる人ですか?」
 暇を持て余したのか、悪魔が台所の日車に向かって話しかけてきた。
「いや。多少味の好みはあるが、特にこだわりはない」
「そうですか。こだわりの豆をコーヒーミルで挽くところから始めるタイプかと思ってました」
「何を根拠に……」
 よく分からないイメージに首を傾げながら、日車は大きめのマグカップにたっぷりとコーヒーを注いでリビングへ戻った。悪魔はテーブルに広げた資料を少しだけ整えて場所を作る。心のどこかで資料をしまってくれないかと期待していた日車は、がっかりしながら空いたスペースにマグカップを置いた。
「ありがとうございます。良い香り」
 悪魔は豊かで華やかなコーヒーの香りを楽しんでから、空中に人差し指で円を描いた。何も無いところから白い粉が現れて、さらさらとカップの中に降り注ぐ。
「砂糖か?」
「ええ。かの有名なタレーランはこう言いました。よいコーヒーとは悪魔のように黒く、地獄のように熱く、天使のように純粋で、愛のように甘い。残念ながら私は猫舌なので地獄のように熱いコーヒーは飲めないんですけど」
「……そうか」
 日車も彼女の向かいの席に腰かけて、コーヒーを口にした。思ったよりも熱く淹れてしまったようで、僅かに顔を顰める。牛乳で温度調整をしようかと腰を浮かせた。
 パチン。
 日車の正面から、指を鳴らす音がした。
「ミルク、入れておきました」
 悪魔はにこにこしながら日車にコーヒーをすすめた。先ほどまで黒かったマグカップの中身が明るい茶色に変化している。恐る恐るマグカップに口を付けると、日車の好みの濃さに調整されたカフェオレになっていた。
「こんなことに魔法を使っていいのか?」
「大丈夫です! 経費で落ちますので」
「経費」
「営業活動中の魔法の使用は交際接待費になるんですよ」
「そうか……」
 また一つ、日車の中にあった「悪魔の取引」のファンタジックなイメージが崩れていった。

「それにしても、君はめげないな」
 テーブルに広げられた資料を横目に日車はコーヒーを啜る。
「粘り強いのが私の良いところですから」
 悪魔もコーヒーを口にした。特に褒めてはいないが、何故か照れ笑いを浮かべている。
「俺もSNSの噂でしか知らないが、毎日こまめにチラシを撒いてるんだろう?」
「ええ。私に割り当てられた地域にいる人間の皆さん、なんか忙しすぎるみたいでチラシをばら撒いても全然気付いてもらえないんですよね」
 悪魔は言い終わるや否や、はっと目を見開き、そして日車に訝しげな眼差しを向ける。
「……日車さん、もしかして何か企んでます? 言っておきますけど、例の方の情報は喋りませんからね」
「案外鋭いな」
「さすがの私でも気付きますよ。今まで私に興味を向けたことなんてなかったんですから」
「それもそうか」
 日車は息を吐き、髪をかき上げた。
「分かった。被害者の情報については諦めよう。その代わり頼みがある」
「……ひとまずお話だけ、伺います」
「営業活動を止めろとは言わないが、例の勧誘チラシをばら撒くのは止めてくれないか」
 日車は例の被害者の死因は呪いでない可能性が高いこと、呪いが原因でないのなら呪術師の仕事の範購を外れること、一方で悪魔が召喚できるチラシという噂がじわじわと広まっていること、その噂から呪霊が産まれるのを防ぐためにはチラシの回収が必要不可欠であることを説明した。
「営業活動についてはなにも言わないなんて、少し意外です」
「専門分野の問題だ。俺たち呪術師の仕事は呪いの脅威を取り除くこと。悪魔の活動を止めさせるのは聖職者の領分だ」
「クールですね。呪い関係の方だと人を騙して魂を奪うとは何事か、って怒り出す人もいるのに」
「怒ったところで取引は止めないだろう?」
「止めませんね」
 悪魔は指を鳴らす。テーブルの上に白い器とクッキーが現れた。
「もし良かったらどうぞ」
「結構だ」
 日車が断ると、彼女はもったいないと自分で食べ始めた。

「それで? チラシの件は?」
「申し訳ないのですが、チラシを撒かないというのは難しいですね」
「何故だ」
「営業規程で、対面での営業活動に制限が設けられているからです」
 悪魔の営業規程は天国との取り決めをベースに定められているという。規程には「人間が取引をする意思を持って召喚した場合にのみ対面での営業を行う」と記載されていた。かつては召喚方法についても厳しく規制されていたらしいのだが、時代の変化と共に規制が緩和され、昔ながらの呪文や魔法陣だけでなくQRコード召喚も可能になったのだそうだ。
「待て。人間が取引する意思を持って召喚した場合にのみ、対面での営業が許されているのか?」
「ええ。そうですけど」
「なら何故俺に対してしつこく付きまとう。俺に君と取引する意思はない」
「日車さん、元弁護士なのに迂闊すぎませんか? よく見てください」
 悪魔は日車に件のチラシとルーペを手渡した。そして裏面の左端の幾何学模様を指さす。指し示された場所をルーペで覗き込む。幾何学模様だと思っていたものは全て文字だった。細かな字で注意事項がびっしりと書かれている。その文字の群れの真ん中あたりに「QRコードを読み込んだ場合には、担当者によるプランのご案内および個人情報の提供に同意したものとみなします」とあった。
「ルーペがなければ読めない注意事項は記載したうちに入らないだろう」
「でもこのチラシにゴーサインを出したのは天国にいらっしゃる偉い方々なので……一応そういうご意見があったことは、総務を通して天国側の担当者にも共有しておきますね」
 日車は言葉にならないうめき声を発してコーヒーを一息に飲み干した。QRコードを読み込んだ段階で、ある程度の厄介ごとは覚悟していたものの、まさかこのような形で襲い掛かってくるとは思いもよらなかったのである。

「いったん注意事項のことは忘れよう。営業活動にチラシは必要不可欠なのも理解できた。だがもう少し噂にならないような方法でできないのか? 君だって闇雲にチラシを撒いたところで効率が悪くて大変じゃないのか?」
「それはそうなんですけど、その、こちらにもいろいろ事情がありまして……」
 珍しく悪魔が言葉を濁した。
「どうした。上司から何か言われているのか?」
「いえ、上司の言うことは何も間違ってないんです。問題は私にありまして……」
「俺で良ければ話くらい聞くぞ」
 悪魔の目が泳ぎ、誤魔化すようにマグカップに口を付けた。だが日車はカップの中身が空になっているのを見逃さなかった。
「どうせ相談料は三十分五千円とか言うんでしょう?」
「なら期待に応えて一時間一万二千円貰おうか」
「いや、そこは初回無料相談枠を使わせてくださいよ」
「冗談だ」
 日車が笑う。それにつられて、悪魔の口元も綻んだ。悪魔はクッキーを食べ、コーヒーを飲む。日車も一つ摘まんでみる。ナッツと甘さ控えめのココアがコーヒーの味を引き立てる。とても上品で美味しいクッキーだった。
「本当はお客様に話すような内容ではないんですけど、実は……今期の成績があまり芳しくなくて」
「ノルマでもあるのか?」
 悪魔は深刻そうに頷いた。
 日本支店では一九九九年から三〇年を営業強化期間に設定しているのだそうだ。その時期はノストラダムスの大予言や二〇一二年のマヤ暦における人類滅亡などオカルト的なイベントが目白押しだった。世界の終わりと悪魔は相性が良い。それにあやかろうという趣旨だった。だが、彼女の担当地域の人間はとにかく忙しい。そもそもチラシすら手に取ってもらえなかった。チラシを手に取ってもらえなければ対面での売込みはできない。そこで質より量で勝負しようとチラシをばら撒いていたのだ。打率一割でも五百枚撒けば五十人、五千枚撒けば五百人に会える。すぐに契約につながらなくとも、悪魔のチラシという噂が流れれば興味を持った人間がチラシを取りにわざわざ足を運んでくれるかもしれない。そして脳内に流れ込んでくる見込み客の動画をチェックして、仕事に行き詰っていたりトラブルを抱えていそうなタイミングで姿を現すのだ。
「それでしつこく営業をかけてきたのか」
「さすがに人は選んでますよ。ご契約後もアフターフォローなどで何かとお付き合いすることになるので。あ、せっかくなのでパンフレットを使って説明しますね」
 ここぞとばかりに、悪魔は片付けたばかりの冊子を再び広げて見せた。日車は呆れながらも、今回は黙って話を聞いてやることにした。
 
「ご契約プランは大きく分けると二つあります。一つは『あなたの苦しみ、まるごと取り除きます』プラン、愛称は『あくま』プラン。名前の通り、ご契約者様の辛いことを私たち悪魔の力を使って減らしていこうというプランです。もう一つは『あなたに悔いは残させません』プラン。愛称は『あくまツー』プラン。こちらはもう少し積極的なプランで、ご契約者様の夢を叶える方向で私たち悪魔がお手伝いいたします。ここまでで何か質問はありますか?」
「……いや、特には」
 日車は嘘を吐いた。嘘を吐いたというよりは、本筋と関係ない部分での質問なので今聞くことではないと判断した。
「お気付きだとは思いますが、愛称はプラン名のあいうえお作文になっているんですよ。『あ』なたの、『く』るしみ、『ま』るごと取り除きます、で『あくま』プランです」
「それだともう一つのプランは、『あくの』プランになるんじゃないのか?」
「『あ』なたに、『く』いは、残させ『ま』せん、で『あくま』です。そこは柔軟に……」
「そうか……」
「ではそれぞれのプランについて、もう少し詳しくご説明しますね」
 『あくま』プランはサービス内容が限定されているプランである。契約者が申告した苦しみの原因を取り除くことしかできない。なので、「外見でいじめられないように、見た目を普通レベルに整える」といった願いは問題ないが、「外見を整えた上で、素敵な彼氏・彼女を調達する」というような願いはサービス対象外だった。サービスが制限される代わりに、契約期間は五十年もしくは本人が寿命を迎えるまでのいずれか短い方で、悪魔の取引相場と比較しても長めに設定されている。
 一方、『あくまツー』プランは契約期間が二十四年もしくは本人が死ぬまでのいずれか短い方である。『あくま』プランよりも短めに設定されているが、その分、悪魔の力で他者の思考に介入することも可能で、契約中は年中無休で悪魔のサポートが得られる。その他、各種欲求に応じてカスタマイズも可能である。ここ数年は「ある朝、目覚めたら人生イージーモードのイケメン・美女になって無双する」というような最強異世界転生のようなプランが人気らしかった。
「対価はどちらのプランでも同じなのか?」
「魂を私たち悪魔に取られて確実に地獄行き、という意味では同じです。ただ、地獄に行った後の辛さが変わってきます。『あくま』プランであれば、私たちの下僕になるだけで済みますが、『あくまツー』プランですと悪魔のおもちゃになります」
「おもちゃ……」
「ええ。言うのも憚られるような酷い扱いを受けます。例えばですが――」
 悪魔は子どものような笑みを浮かべて、日車に耳打ちをした。話を聞いた日車は顔を顰める。どう考えても無邪気な笑みを浮かべて耳打ちするような内容ではない。やはり悪魔を自称するだけのことはある。
 
「それで? 今期はあとどのくらい契約が必要なんだ?」
「そうですね……最低でも『あくま』プラン五件、『あくまツー』プランなら二件ですね。ただ、『あくまツー』プラン終身特約付きなら一件でも十分安心といった感じです」
 ――本当に保険営業みたいだな。
 こんな不穏な終身特約が存在するなんて。それなら給与保障特約ならぬ三大欲求保障特約もあるのだろうか。そんなくだらない考えが日車の頭の中を駆け抜けていった。
「特約付きがあと一件あれば十分なんだな?」
「ええ。それならチラシの撒き方を検討できます。えっ、もしかして日車さん、私のために契約を……!?」
 悪魔は目を輝かせた。
「……考えてやらないでもない」
 今回の任務が回ってきたのはちょうど繁忙期のピークを少し抜けた頃だった。余裕が出てきたとはいえ、閑散期と比べればまだまだ任務の件数は多い。優秀な呪術師とはいえ、日車ももう三十半ば。二十代の五条や七海と同じように働くのは難しい。顔には出さなくとも、日車は心身共に疲弊していた。
 そんな状況下で、悪魔は優しい言葉を囁く。お仕事大変ですね。それは辛かったでしょうね。リップサービスなのは分かっていたし、その後に続く営業文句にうんざりしていたのも事実だった。だが、彼女の言葉に少しだけ気持ちが楽になったのも確かである。単純接触効果もあって、いつの間にか日車は彼女に親しみを覚えていたのだった。不思議なもので、親しみが湧くと少しは考えてやろうという気持ちになった。
「本当ですか!?」
「プランについて、こちらもきちんと検討したい。詳しい資料を置いていってくれ」
「もちろんです! ご希望条件に応じて契約期間ですとか死後の魂の取扱いを試算することもできますので、お気軽にお声がけくださいね!」
 悪魔は嬉しそうに指を鳴らした。二人が使っていたマグカップは一瞬でピカピカになり、クッキーの代わりに小包がテーブルに現れた。パッケージにはメイド・イン・今治と書かれている。
「これ、お話を聞いてくださったお客様にお渡ししているタオルなんです。よかったら使ってください。よく水を吸うって評判なんですよ」
「あ、ああ。ありがとう」
「では、今日はこちらで失礼します。ぜひ! 前向きにご検討ください!」
 悪魔はキラキラエフェクトのかかった青い煙を振りまいて消えていった。

「……ランプの魔人か?」
 少し前に実写映画が公開されて話題になった、最高のお友達を自称するあのランプの魔人と悪魔の姿が少しだけ重なる。ご主人様に対してやけにフランクなところと、魔法が使えるところしか合ってないのだが。そんなことを考えながら、タオルのパッケージを開けるのだった。

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