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任務が終わり、日車はいつものように事務所へ向かっていた。その日の報告書はその日のうちに。それが日車のモットーだった。
「あ、日車先生。お疲れサマーバケーション!」
廊下の向こうから五条と伏黒がやってきた。向こうも任務終わりだったようで、伏黒の制服が少しだけ汚れていた。伏黒は日車の姿を認めると、軽く会釈をした。そして不思議そうな顔をする。
「どうかしたか?」
「あ、いえ……日車さんと一緒にいる人、新人の補助監督ですか?」
「初めまして」
日車の背後から段ボールが顔を出した。積み上げられた段ボールで補助監督の上半身がすっかり隠れてしまい、段ボールに手足が生えているように見える。五条は日車の後ろへ回り込んで、段ボールの本体を確かめる。
「あれ、日車先生をストーキングしてた悪魔じゃん!」
伏黒の目がすっと細められる。遂に先生も過労でおかしくなったのか。そう言いたげな視線だった。悪魔と初めて会った時の典型的なリアクションに、日車は苦笑いをした。
「お久しぶりです」
「何してんの? 悪魔営業辞めて補助監督に転職したの?」
「彼女と契約した。今は俺の助手をやってもらってる」
「何その面白い話。詳しく聞かせてよ」
悪魔がパンフレットとノベルティのタオルを置いていってから一ヶ月半後、日車はなんと呪霊との交戦中に悪魔と契約をしたのだった。補助監督からは非術師を全員避難させた上で現場付近を立入禁止にしたと聞いていたのだが、実際には老夫婦が現場に取り残されていたのである。加えて、呪霊と日車の術式の相性はあまり良くなかった。日車一人ならいざ知らず、非術師二人を守りながら戦うのは困難を極めた。そこで日車は一か八か、悪魔を現場に呼び出したのである。
「めちゃくちゃびっくりしましたよ。呼び出されて行ってみたら、日車さんは血まみれだし、その後ろでおじいちゃんおばあちゃんは震えてるし」
「交戦中によくそんな時間あったね」
「そこはアレです。摩訶不思議な悪魔パワーです。あとは日車さんが血まみれだったのも時短になりました」
「どういうこと?」
「契約者の血液で契約書を作らないといけないんですけど、これが意外と大変でして……」
血で契約書を書くといっても、血液の量はそれほど必要ではなかった。健康診断の採血の方が多いくらいだ。それでも嫌がられることの方が多いのである。やはり血液が必要と言われると急に怖くなるようだった。そこを納得させて必要な量を採るのに結構な時間がかかる。ひどい場合は一日がかりで説得することもあった。その手間が省けたのはかなり大きい。
兎にも角にも、こうして悪魔は日車との契約に成功したのだった。今期どころか来期のノルマも心配しなくてもいいような大口契約で、後日、彼女の上司が手土産を持って挨拶に来た。ちなみに手土産はブート・ジョロキアを使ったレトルトカレーだった。激辛料理マニアの補助監督に渡したところ、泣いて喜んだという。感想を聞いたところ「唐辛子界の魔王なだけあって、全身から汗が噴き出ました」とのことだった。
「ていうか、悪魔と契約したのに仕事してんの?」
「そうなんですよ!」
段ボールの山の向こうから悪魔が叫ぶ。
「日車さん、世界征服でも目論んでるのかなって思うくらいの盛り盛りプランを契約したのに私に高専の仕事の手伝いばっかりさせるんですよ。美食に走るわけでもなければ、色恋を楽しむでもない。『現場に行ってあれを調べてこい』『この報告書を伊地知に届けてくれ』ってそんなのばっかりで。せっかくエロ同人みたいに、あんなことやこんなことも――」
「止めろ。未成年の前だぞ」
「いいじゃないですか別に。この年代の男子なら『十八歳以上ですか?』の質問にコンマ数秒で『はい』って嘘吐く年齢ですよ」
そうですよねぇ、と悪魔は伏黒に同意を求める。急にセンシティブな質問を投げかけられ、伏黒はしどろもどろになりながら否定した。
「実態はどうであれ、建前があるだろう」
「恵がムッツリかどうかは置いといて、なんでそこまでしたのに仕事してんの?」
「仕事をしていないと頭が錆び付きそうだからな」
五条は日車のワーカホリック発言に、ひゅう、と口笛を吹いた。
「私がこんなこと言うのも変ですけど、四六時中仕事のこと考えてると病気になりますよ?」
「君にとってはその方が都合が良いんじゃないのか? 俺が早く死ねば早く魂を回収できる」
「そういう意地悪言うの止めてください。本ッ当に意地悪なんですからまったく」
悪魔はぷりぷり怒りながら、踵を三回鳴らした。すると圧迫感のあった段ボールが跡形もなく消えてしまう。伏黒はあんぐりと口を開けたまま、悪魔を凝視した。五条はというと、本人が現れる以外の魔法を見るのは初めてだったらしく、手を叩いて喜んでいた。対照的な二人の反応に悪魔は嬉しくなったのか、舞台役者が挨拶をするように、仰々しくお辞儀をしてみせる。
「俺には分かりません。この人が本当に悪魔なのだとして――」
「悪魔ですよ」
すかさず悪魔が割って入る。その勢いに伏黒は一歩引いてしまう。
「……そういうことだ」
「恵、そこはツッコミ禁止。話すと長くなる面倒な話があんの」
大人二人――しかも片方は比較的まともな日車がそういうのなら。伏黒はそれ以上、そこに触れるのを止めにした。そもそも伏黒が日車に聞きたかったのはそこじゃない。
「なんで悪魔と契約しようと思ったんですか。非術師を守りきれないとはいえ、自分の魂を売り渡すのはいくらなんでも代償が大き過ぎる」
伏黒の問いに、日車は少し考えてから答えた。
「魂が取られる条件は俺が死ぬか二十四年経つかどちらか早い方だ。普通の人より殉職のリスクが高いといっても、これでも一級呪術師だからな。今日明日死ぬってことはないだろうし、そのつもりもない。その間に救える命の数を考えれば、それほど大きな代償とも言えないだろう。これが一つ目」
「もう一つは?」
「悪魔と契約してもしなくても、俺の魂は地獄行きだ。なら生きてる間に少しは楽をしてもいいだろう?」
一級呪術師ともなれば汚れ仕事のようなことも引き受けなくてはならない。それは日車も例外ではなかった。むしろ術式の特性もあって、呪詛師を相手にする機会は多い方だった。非術師を守るためには必要なことだし、殺すつもりで戦わなければこちらが殺される。日車は決して信心深い方ではなかったが、天国と地獄、どちらに行くと思うかと問われれば間違いなく地獄と答えただろう。
「あー、生きてる間に楽できるなら僕も君と契約しようかなぁ」
「いや、それはちょっと……」
「なんだよ。契約取れて嬉しくないワケ?」
「そりゃあ、私にもお客様を選ぶ権利はありますので」
「いくら何でも正直過ぎだぞ。営業員ならオブラートに包めよ」
「あ、よければ私の後輩を紹介しますよ。人に化けるのが苦手でたまーに頭のてっぺんから第三の腕が生えてますが、優秀なのは確かです」
「それはそれで見てみたいけど、そういうことじゃないんだよ」
ぎゃーぎゃーと口論を始めた二人を、伏黒が冷めた目で見る。日車はというとそんな二人を愉快そうに見守っていた。
「止めないんですか?」
伏黒が日車に問う。
「下手に口を挟むとこちらに飛び火する。それにそろそろ終わる頃だ。罵倒のネタが尽きてきてる」
「この……不審者! 子どもに怖がられろ!」
「そっちこそ変な角つけたコスプレと間違われて警備員から注意されろ」
「残念でしたー。普通の人にはこの角は見えますぇーん」
日車の言葉通り、二人の口論のレベルが明らかに下がってきていた。悪魔と言っても言葉の暴力は苦手らしい。
「あー、もう時間の無駄だな。恵、グズグズしてないで道場に行くよ」
「はぁ……先生が先に絡んだんじゃないですか」
失礼します、と伏黒は日車に会釈をして、肩を怒らせて歩く五条を追いかけていった。
「良かったのか?」
五条の背中に向かって世界各国の罵倒語を投げつけていた悪魔は、日車の問いかけに目をぱちくりさせる。
「何がですか?」
「営業かけなくて」
「あれ、日車さん嫉妬ですか? 安心してください。五条さんの魂は好みじゃないですし、営業成績的にもあまりプラスにならないタイプの魂なので」
「小出しにしてくるな……」
魂の好みってなんだ。魂のタイプで成績が変わるのか。そんな疑問が日車の頭に浮かんできたのを察知したのか、悪魔はにやにやしながら日車の顔を覗き込んだ。
「私、日車さんみたいな草臥れた魂が好みなんです。理想と現実のギャップに翻弄されて、それでも何とか折り合いをつけようとして擦り減らしてる感じ」
「そうか」
「うふふ。日車さんの魂がいただける日が楽しみです。さ、早く事務所に行きましょ」
「回収した呪物を忘れるなよ」
「あっ、そうでした」
悪魔は指を鳴らす。どこかへ消えていた段ボールの山が再び現れて、悪魔の腕の中に収まっていく。
「気になっていたんだが、いくらなんでも過剰包装なんじゃないか? ほとんど中身は入ってないだろう」
「え、でもそれぞれの呪物がぶつかると爆発するんですよね?」
「そうならないように呪符を巻いたんだ」
「えええ! それ、もっと早く言ってくださいよ」
「てっきり俺に扱き使われてる感を演出するためかと」
「違います! もう!」
悪魔はタップダンスをするように足を踏み鳴らした。段ボールの山は小包サイズ一箱まで減った。
「では、気を取り直して」
「そうだな」
日車は悪魔と共に高専の廊下を歩く。
のちに二人は「天国、地獄、大地獄コンビ」と奇妙なあだ名を付けられることになるのだが、この時の日車には知る由もなかった。
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