五条悟の偽彼女の件ですが一旦仕切り直しになりました

 恋愛。それは世間一般の人たちにとって随分と大事なものらしい。ファッション誌には「理想のデート服」なる特集が必ず組まれているし、コラムの内容も恋愛相談が多いように感じる。
 考えてみれば、恋愛にまつわる消費活動というのは広範囲に亘っている。デートをするとなれば小綺麗な服を着たいしメイクにも気合が入る。背伸びしてお洒落なレストランにも行くだろう。イベントがあればプレゼントも欠かせない。企業が「モテ」に主軸を置いた広告やコンテンツを作るのも当然だ。また一つ賢くなった。

「だる……」
 気の進まない仕事をするときに限って、思考があちこちに飛んでしまうのは何故だろう。人類の永遠の謎だ。
 五条さんの偽彼女になると決まったのが昨日。今朝、出勤すると大量の旅行雑誌と書類が私のデスクの上に積まれていた。雑誌には大量の付箋がついていて、子どもが工作で作るヒマワリかライオンみたいなことになっている。
 ――来月の出張、良い感じのホテル選んどいて。
 雑誌に貼られた付箋にはムカつくくらい綺麗な字でムカつくくらいアバウトな指示が書かれていた。
 てめぇの宿くらい自分で選べ、と突き返せたらどれだけ楽だろう。けれど私は五条悟の専属秘書である。どんなにふざけた内容でもこれが仕事なのだ。
 ぱらぱらと付箋のついたページをめくってみる。映えカフェ、カップルで行きたいお出かけスポット、一度は食べてほしいご当地グルメ……。旅行雑誌は見る必要ないな。

「大丈夫ですか?」
 相当ひどい顔をしていたのだろう。伊地知さんが心配そうに声をかけてくれた。
「ええ、まぁ。出勤した時はさすがに眩暈がしましたけど」
「今日は私も一日事務局にいるので、良ければお手伝いしましょうか?」
「いいんですか!? ありがとうございます! 助かります」
「今日の五条さんの任務は午後三時からの川崎が最初なので、一時には事務局に顔を出すと思います。その時までに宿泊先を一覧にして渡しておきたいので……、ちょっと待っててくださいね」
 伊地知さんが何やらパソコンを弄っている。少しして、ぴろん、とメール通知が飛び込んできた。
「今メールで五条さんの常宿リストをお送りしました。規程に合うホテルで、五条さんから文句が出ないところとなるとなかなか見つからないので、個人的にまとめておいたものです。人に見せる用には作っていないので、少し分かり辛いかもしれませんが……」
「ああああありがとうございます!」
 伊地知さんの素敵リストのお陰で、五条悟来襲前に全ての宿泊先の予約とリストアップが完了した。あとはこれを本人に見せるだけだ。
「伊地知さん、本当にありがとうございました。もう本当に伊地知さんに足を向けて寝られないです」
「大げさですよ。もっと早く皆さんと共有しておくべきだったと反省しているところです。それに後任の指導は現担当者の仕事の内ですし、困っていたら助け合わないと」
「ひぇ……」
 助け合わないと、ですってよ。素面でそんなこと言える? 私なら言えない。というか酒が入ってても言えない。だって自分の仕事で精いっぱいでそんな余裕ないもの。だんだん伊地知さんが菩薩に見えてきた。
「伊地知さん、私、早く一人前になって伊地知さんの長時間労働を減らせるように頑張ります」
「ありがとうございます。期待してますね」
 ああ、頑張ろう。伊地知さんの負担を減らして、少しでも伊地知さんが健康でいられるように頑張らないと。伊地知さんこそ、事務局に必要な人間なんだから。

「ところで、今日のお昼お時間ありますか? もし良かったら一緒に――」
「二人して何話してんの?」
「ひぇあああおううぇえ!?」
 説明しよう。
 まず、五条さんが音もなく私たちの背後にやって来て、伊地知さんの言葉にカットインしながら私の肩を軽く叩いた。いきなり真後ろから肩を叩かれた私は、反射的に奇声を発しながら距離を取ったのだけれど、その時に床のコードに引っ掛かって転びそうになる。体勢を立て直すつもりで近くの椅子の背もたれを掴んだところ、座面が回転し、結局立ち上がれずに盛大に尻もちをついた。そして現在に至る。ピタゴラなんちゃらもビックリの転び方に脳味噌が処理落ちしたのか、しばらくの間、呆然と五条さんを見つめてしまった。
 向こうも突然のほにゃららスイッチに衝撃を受けているのだろう。完全にフリーズしていた。そりゃそうだ。勝手にコードに引っ掛かって勝手に転ぶような鈍くさい人間なんて、高専の生徒にはいない。
「だ、大丈夫ですか!?」
「あ、ああ……。大丈夫、です」
 伊地知さんの心配そうな声を聞いて、ようやく頭が回り始める。やってしまった。なんてみっともないんだろう。いい年した大人がこんな転び方するなんて。
 ……今日、スカート履いてなくて良かった。
「随分派手に転んだね」
「転ぶのはいつもの事です」
 よろよろと立ち上がって、ズボンに付いた埃を払った。お尻がジワジワ痛む。痣になってないといいんだけど。

「それより、どうかされましたか? 任務の打ち合わせには少し早いようですが」
「あー、そうそう。彼女に用があったんだよね。来月の出張先のホテル、どうなった?」
「それならリストにしてあります」
 できたてほやほやのリストを五条さんに手渡した。我ながら短時間で頑張ったと思う。どや顔で渡したって許されるはずだ。
 彼は受け取ったリストを見ると、不機嫌そうに顔を歪めた。アイマスクをしているのに表情豊かなのは本当にすごい。
「ちょっと来てくれる?」
「え? 何か問題でもありました?」
「うん。大アリ。伊地知、ちょっと彼女借りてくね。時間までには戻るから」
「ご、五条さん!」
 伊地知さんが何かを言いかけたが、その声は私の耳には届かなかった。
 また瞬間移動か。

◇ ◇ ◇

 今日はどこかのお洒落レストランに連れてこられた。ナイフとフォークで頂くタイプのクレープを出すようなカフェレストラン。周りは彼氏連れのピカピカの女子大生やセレブな奥様ばっかり。こういうところに連れてくるなら先に言ってくれ。もう少し念入りに寝癖を直したかった。自分はちゃっかりサングラスかけちゃってさ。狡い。
「食べ物アレルギーある?」
「いや、無いです」
「良かった。ここの蕎麦粉のガレット、すごく美味しいから君に食べてほしかったんだよね。僕のおすすめはね、林檎とキャラメルのガレットにホイップ二倍でアイスクリーム追加のカスタムかな」
 胸やけしそうな五条悟スペシャルカスタムはともかく、メニューに載っている写真を見ると、確かに美味しそうだった。見た目もお洒落で気分がアガる。が、お値段が全く可愛くない。完全に予算オーバーだ。
「すみません。私、今財布持ってないので、一旦帰っても良いですか」
「いいの。僕の奢りだから」
「や、でもそういうワケにはいかないです」
「“デート”の費用は僕が払うって言ったでしょ」
「え、“デート”なんですか?」
「あのねぇ、さすがの僕だってなんでもないときにこんな気合入ったとこ来ないよ」
「……今度からデートは事前にアポ取ってください」
「えー、なになにー? 『明日はデートだから特別お洒落しなくっちゃ。何着ようかしら。きゃっ』みたいなことしてくれんの? 嬉しいなぁ」
 もういいや。訂正するのも面倒だし。
 私は考えることを放棄して、店員さんを呼んだ。

 食べてほしかった、という言葉通り、ガレットはとても美味しかった。私が頼んだのは定番のハムと卵のガレット。パリッと香ばしい生地にトロトロの卵。ほどよい塩気をプラスしてくれるハムが良い仕事をしていて、ぺろりといけちゃう。付け合わせの人参のピクルスっぽい何かもとっても美味しいし、サラダもなんだかお洒落。
 ふと視線を感じて顔を上げる。五条さんと目が合った。嬉しそうに私を見ている。
「どうかしました?」
「美味しそうに食べるなーって思って」
「そうですか?」
「うん。連れてきた甲斐があったよ」
 にこにこしながらクリームたっぷりのガレットを口に運ぶ。本当に嬉しそうだ。仕事の話をするなら機嫌の良い今かもしれない。
「あの、来月の出張任務の宿泊先ですけど」
「このタイミングで仕事の話する? せっかく“デート”中なのに」
「しますよ、“勤務”中ですから。それで、問題大アリって、どのあたりが問題だったんですか?」
「だってどれも味気ないビジネスホテルじゃん。“デート”でそのチョイスはナシ」
「はい?」
「言わなかった? 来月から僕の出張に同行してもらうことになってるんだけど」
 その話初耳なんですけど。そういうことはちゃんと事前に言ってくれ。聞いた上で断る。
「全く聞いてないですし、出張の同行は秘書の業務ではないです」
「えー、秘書ってそういうモンじゃないの?」
「秘書は付き人じゃないので、そういうことはしません」
「なら旅費は僕が出すから君はプライベートで一緒に来ればいいじゃん」
 思わず天を仰いだ。なぜ神様は私にこのような試練をお与えになるのでしょうか。忍耐を覚えろ、という事でしょうか。
「旅費の問題じゃないんですよ。五条さんと私ってそういう距離感にないじゃないですか」
「ハイ、質問。名前呼び捨てにしてって言ってんのに“五条さん”呼びが限界の君に、あと半年で結婚を考えてる彼女の演技ができるでしょうか」
 ああ、それを言われると何も言い返せない。
「……無理っすね」
「だよね。君みたいなタイプはとにかく慣れてもらうしかないの。ま、さすがに同じ部屋に泊れとは言わないよ。修学旅行みたいなもんだと思ってくれればいいから」
 別部屋か。それなら、まぁ……、いや、良くない。修学旅行と言い張るのにも無理がある。
「そういえば、僕、修学旅行って行ったことないんだけど、どんな感じなの?」
「え、行ったことないんですか?」
「中学までは僕の首に懸賞金かかっててそれどころじゃなかったし、高専時代は忙しかったから」
 任務のついでに沖縄で遊んだくらいかな、と五条さんは軽い感じで語る。

 私には結構ショックな話だった。
 実を言うと私は呪術高専の卒業生ではない。呪霊は見えていたけれど運良く怖い思いをせずに済んでしまったため、非術師と同じように生きてきた。だから学校絡みの定番行事は一通り経験済みである。
 けれど五条さんにはそれが無い。出自が特殊な五条さんにとっては「満漢全席を食べたことがない」程度のことで別に気にならないのかもしれない。それでも何だかショックだった。
「高校の修学旅行は楽しかったですよ。京都と奈良に行ったんですけど、一番の友人たちと同じ班だったんです。一緒にわらび餅パフェ食べたり、鹿と写真撮ったり……。未だに皆と会うとその時の話で盛り上がりますよ」
「気心知れた友達と一緒ならなんだって楽しいよね」
 五条さんの眼は私に焦点を結んではいなかった。私の話を聞いているようでいて、何か別の記憶を重ねているみたいだった。どこか懐かしそうで、少し淋しそう。

「なんか、すみません」
「やだなぁ。そんな顔すんなって。ていうか、その友達って男?」
 哀愁漂う表情は霧のように消えていき、いつものおちゃらけた五条さんが戻ってきた。
「違いますよ。気になるポイントそこですか? もしかして嫉妬してるとか?」
「そうだけど」
 ふざけたつもりだったのに結構な爆弾が投げ込まれた。
 五条悟が私の男友達に嫉妬? なんだそれ。それってなんだか……。
「ぷっ。はははっ! 冗談だよ。本気にした?」
「なっ! あああもう!」
 恥ずかしい。恥ずかしすぎて泣けてきた。
「でも気になったのはホント。もし本当に男友達だったら会うの控えてもらわないといけないし」
「なんでですか」
「僕の彼女が他の男と会ってたなんて他所の家に知られたら厄介でしょ。無いこと無いこと言いふらされて大変だよ」
 あること無いこと、じゃなくて、無いこと無いこと。その表現に陰湿さが滲み出ている。
「というわけで、事務局でも男とベタベタするのは禁止。特に伊地知」
「なんでそこで伊地知さん?」
「さっき事務局で伊地知と二人っきりでご飯食べようとしてたでしょ。事務局は術師の出入りも多くて誰が見てるか分かんないんだから特に気を付けてくれなきゃ。痴情の縺れに見せかけて君を消すことくらい平気でやるからね」
 思わず背筋が伸びた。法の支配が及ばない世界の政治闘争……。噂には聞いていたけれど、具体的に自分が害される可能性を示唆されると体が強張る。私は呪術高専を卒業してない“もぐり”だ。術式を使って戦ったことなんて一度もない。きっと抵抗すらできずに消されてしまう。
「それに……」
「それに?」
「僕より先に伊地知が君と仲良くなるの、なんかムカつく」
 理不尽! なんという暴論! さっきまでのシリアスな展開はどこへやら。
「仕方ないですよ。伊地知さんは同じ部署の先輩で、表向きは私の秘書業務の前任者。五条さんは書類でしか存在を確認したことが無い呪術師。伊地知さんと仲良くなるのも当然です」
「だーかーらー、一緒に旅行して親睦を深めようって言ってるんじゃん」
「旅行ではないですよね」
「旅行だよ。ちょちょーっと野暮用済ませるだけなんだから」
 一級任務を“野暮用”で済ませられる。どこまでいっても規格外だ。
「私にだって自分の仕事があるんです。五条さんにばっかり構っていられないんです」

 五条さんはニヤニヤしながら徐にスマホを取り出し、その画面を私に見せる。
「え? ちょっと、これ……」
 画面に表示されていたのは舞台のチケット写真だった。主演は私が応援している俳優さん。ファンクラブ枠で取れた日程は仕事の都合で行けなくなり、プレイガイドでは一枚も当たらず、観られないと思っていたあの舞台。その大千穐楽のチケット。それが五条悟の手にある。
「前にこの舞台の主演俳優を呪霊から助けたことがあって、それ以来、公演がある度にチケットを贈ってくれるんだ。前に出てた古典改作シリーズ観に行ったけど、この人、良い演技するよねぇ」
 地味顔グランプリの時に調べたのだろう。私の大好きな俳優さんのチケットをちらつかせて自分の要求を吞ませようとしている。そこまでするか、普通。
「いや、でも大千穐楽の日は打合せがあるので」
「それって硝子との打ち合わせでしょ。硝子に聞いたら今回は共有事項は無いからスキップしようと思ってたって言ってたなぁ」
「えっと……、その、役所への届出が〆切なので」
「それは伊地知がやるからいい」
「全く良くないですよね、それ」

「はぁ……。いいの? 今回の舞台が初主演なんでしょ? 主演の舞台の大千穐楽は今後もチャンスがあるかもしれないけど、“初”主演の大千穐楽は人生で一回しかないんだよ?」
 顔の良い悪魔が囁いてくる。いつの間にか私の隣に座って甘い言葉で誘惑しながら、要求を呑めと迫ってくる。
「伊地知も、息抜きは大事だから是非行ってきてくださいって言ってたけどなぁ」
 伊地知さんがそんなことを。
「仕事って持ちつ持たれつでしょ? たまには甘えても良いんじゃないかな」
 持ちつ持たれつ。持ちつ、持たれつ……。
 すっと差し出されるスマホ。思わず受け取ると、がっしりと肩を組まれた。よく見るとチケットの隣に公演チラシが映り込んでいる。それも本人の直筆メッセージ入りの。
「あの、このチラシ……」
「これ? もちろん君にあげるよ」
 メッセージ入りのチラシが貰える……。
「あ、現地でサイン入りのパンフレットもくれるってさ」
 サイン入りの、パンフレット。
「旅行、一緒に行きましょう。全部は無理でも随行します」
 この誘惑を断るのは無理だ。きっと後悔する。
「じゃあ決まりだね。舞台の方は誰か友達でも誘って行きなよ」
「え、一緒に行かないんですか?」
 てっきり一緒に行くものだとばかり思っていた。
「逆に僕が一緒に行って良いの?」
「そもそも五条さん宛に届いたチケットじゃないですか。五条さんが行かなかったら悲しいと思いますよ」
「本音は?」
「これからもチケットよろしくお願いします」
「ははっ。ほんとに正直だね」
 五条さんは私の肩をばしばしと叩いて愉快そうに笑った。普通に痛い。

「別にチケットのためだけじゃないですよ」
「え?」
「好きなことについて語り合える相手が身近にいたら嬉しいなって思ってたんです。古典改作シリーズ、私も観に行ったんですけど、あれがきっかけでファンになったんですよ。さっき五条さんがその時の演技を褒めてるの聞いて、もしかして舞台の趣味が合うんじゃないかなって思って。そしたら嬉しくって。ちなみに五条さんはどのあたりが良いと思いました?」
 私の反応に面食らったのか、目を見開いている。ばしばしと背中を殴打していた手はゆっくりと五条さんの膝の上に戻り、すっかり大人しくなってしまった。もしかして私、やってしまった?
「えっと、五条さん?」
 反応なし。やってしまいました。初っ端からアクセル全開オタク仕草をしてしまいました。どうしよう。
「ごめんなさい。今のは聞かなかったことにしてくださいほんとにごめんなさい」
「いや、そうじゃなくて。まさか短期間でこんなにデレてくれるとは思ってなかったから」
 デレ、なのかな。ちょっとよく分からない。
「デレなんですかね、コレ」
「デレでしょ。だって一週間前だったら僕とこんな距離で話してくれなかったよ」
 指摘されて初めて気づく。私たちの腿と腿の間には拳一個分くらいの隙間しかない。そういえばさっきまで肩組んでなかった? 思い出したら急に恥ずかしくなって一気に距離を取った。
 ……なんだかこの展開、覚えがある。少し前にも同じことしてないか、私。

 でも、この前と違うのは五条さんも対面の席に戻っていったこと。ふと耳が赤いことに気付く。
「あの、もしかして五条さん、照れてます?」
「……」
 ぷい、とそっぽを向いてしまった。口元は手で隠しているが、頬は真っ赤だ。
「なんか、意外です」
「なにが」
「百戦錬磨で女の子をとっかえひっかえしてるって聞いてたのに、こんなことで照れてるのが」
「それガセだから」
 ガセ? ガセっていうのは、嘘ってこと?
「嘘だぁ。初日の距離の詰め方、えぐかったじゃないですか」
「それは、ほら、僕からいったし……。絶対にデレるわけないって分かってたから、演技と一緒っていうか」
「え、待ってください。恋愛若葉マークの二人が恋人同士の振りをしようとしてたってことですか?」
「若葉マークどころか無免許だね」
「わーお……」
 五条さん曰く、いつも良いところまではいくらしいのだが、あともう一歩が上手くいかないのだそうだ。昔は少女漫画みたいなアプローチをしたこともあったけれど、あのルックスのせいで結婚詐欺かマルチを疑われたのだとか。そこでお気軽さを演出しようとフランクに接してみたら、今度は「ただの友達だと思われてるんだと思ってたし、今となってはこっちも恋愛対象として見れない」と言われたそうだ。
「距離感って難しいですね」
「難しいねぇ」
 はぁ、と二人同時に溜息を吐く。
 五条悟にもできないことがあったのか。ちょっとだけ親近感が湧いてくる。

「五条さん」
「なに?」
「普通に友達から始めませんか?」
 たぶんその方がいい。友達同士だろうと恋人同士だろうと、思い出に大差ない。ちょっと色が違うだけだ。初心者同士が無理して恋人っぽいことしても大事故になるだけ。だったら普通に友達から始めた方が安全なんじゃなかろうか。最近は友達カップルも増えてるらしいし。それ以上のことは、お互いがお互いの存在に慣れてからでも遅くはない。
「それ、アリだね。そっち路線でいこうか」
 よろしく、と五条さんは拳を突き出す。私も拳を突き出して、軽く突き合わせた。こっちの方が随分と気楽だ。
「あ、出張にはついてきてね」
「え、そこは有効なんですか?」
「だってさぁ、せっかくだから修学旅行みたいなことしたいじゃん! 旅館で枕投げして、夜は頭寄せ合って恋バナしたい! それに付き合ってくれるの、君しかいないんだもん。だめ?」
 うるうるの瞳で私を見つめられましても……。でも五条さんの過去を垣間見た今、断ることへの罪悪感が生まれていた。
「……分かりました。随行します」
「いいの!?」
「全部は無理ですよ? でも一、二ヶ月に一回くらいならなんとか」
「ごめん。一瞬、席外す」
 五条さんは本当に一瞬だけ席を外して戻ってきた。その手には私のデスクに置いてあったはずの旅行雑誌。こんな下らないことに術式を使うなんて。そんなに嬉しかったのか。なんだかヒマワリ状態の旅行ガイドも微笑ましく見えてきた。私は五条さんの話を聞きながら、美味しそうなご飯と素敵な宿に思いを馳せた。

 けれどこの時の私たちは知らなかった。
 数日後、とある術師が差し入れてくれたお土産のロールケーキが原因の食中毒で事務員十数人が出勤不能となり、出張随行どころではなくなることを……。

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