五条悟は偽彼女との関係に不満があるようです

 観劇デートをしてから彼女との距離が縮まったように感じる。
 前までは全身から“極力関わりたくない”オーラが出ていたのに、最近はそれを感じない。それどころか何でもない時に彼女の方から「一緒に昼ご飯を食べないか」と誘われるようになった。……と言っても、彼女は推しの良さについて語りたいだけみたいだけど。ともかく、僕らの仲は着実に深まっていた。
 でも、イマイチ色気に欠けている。確かに友達から始めようとは言ったし、あくまでも偽の彼女なのだからそれで構わないと言えば構わない。でも彼女の性格を考えると、もう一歩踏み込んでおきたいのが本音だ。

「というわけで、今日の仕事終わりにプラネタリウム行こうよ」
「はぁ、プラネタリウム……」
 彼女はとっても微妙な顔をした。俗に言うところのチベットスナギツネ顔。すげぇ似てる。思わず写真を撮った。
「いや、なに撮ってるんですか」
「チベットスナギツネに似てんなぁって思って。ほら」
「今すぐ消してください」
「やだ」
「やだじゃない。消してください!」
「じゃあ僕からスマホ奪い取れたら消してあげても良いよ」
「絶対届かないの分かってて言ってますよね!?」
 二人して年甲斐もなくぎゃあぎゃあ騒ぐが周囲にそれを咎める人は居なかった。
 最近、僕らは資料室の休憩エリアで昼食を取っている。理由は単純。人がいないからだ。僕が学生の頃は過去の任務の記録を照会するために、高専の学生や補助監督が頻繁に出入りしていた。でも資料のデジタル化が完了してからは掃除以外で人が立ち入ることはほとんどなくなっていた。こそこそするのは不本意だけど、人目を気にしなくていいのは気が楽だった。
「で、プラネタリウムの何が不満なの?」
「不満ではないんですけど、プラネタリウムって見てると眠くなっちゃうんです」
「別に寝てもいいんじゃない」
「いびき掻いちゃったら周りの人に申し訳ないじゃないですか」
「掻くんだ、いびき」
「……煩い寝息とも言います」
 弁当バッグについているチャームを弄りながら彼女は呟いた。

「っていうか、なんでプラネタリウムにこだわるんですか」
「ちょっと前に流行った映画にプラネタリウムでデートするシーンあったじゃん」
「ラ・ラ・ラですか?」
「そう、ラ・ラ・ラ」
「五条さん、あの映画好きなんですか?」
「んー、普通かな」
 あ、今めんどくさいって顔した。彼女は考えてることが全部顔に出るから面白いし見ていて飽きないんだよなぁ。
「映画の好き嫌いはともかく、あのシーン、ロマンチックだよね。君、そういうの好きそうだからアリかなって思ったんだけど」
「……まぁ、好き、ですけど」
 今度は顔が真っ赤になっている。推しと舞台に対してはもっと恥ずかしいこと言ってるのに、自分のこととなるとすぐに恥ずかしがる。そこが面白いんだけど。
「じゃあ決まり。予約しとくよ」
 善は急げ。彼女の気が変わる前に退路を断つべく、早速スマホを取り出す。
「今どきのプラネタリウムって予約いるんですね」
「せっかくなら良い席で観たいし、予約しておけば到着がギリギリになっても安心でしょ? おっ! 三日月シート空いてるじゃん。せっかくだから三日月シートで押さえるけど大丈夫?」
「んー、お任せします」
 それほど興味がないからか、彼女は完全に丸投げモードだ。ちょっと面倒な子だったら不毛な心理ゲームが始まるところだけど、彼女の場合は言葉通りだから安心できる。ま、気になるようだったら自分で調べてなんか言ってくるでしょ。

「……よし。予約確認メール転送したから、確認しといて」
「分かりました。待ち合わせは高専の正門前で良いですか?」
「事務局まで迎えに行くよ」
「いいですよ。今日は学生の任務の付き添いが最後なんですから、私が正門前まで移動します」
「でも君の定時の方が遅いでしょ。そしたら建物の中で待ってた方が楽だよ」
「じゃあ事務棟の待合室でどうですか?」
「ねぇ、僕が事務局に来たら困るの? 疚しいことでもあるの? どうなの?」
「……五条悟ファンクラブの人に見られたくないんです」
 五条悟ファンクラブ。ああ、そんなモンもあったね。いつもちょっと離れたところで固まりになってきゃあきゃあ言ってる子たち。
「大丈夫でしょ。そもそも君、ファンクラブの子たちからなんて呼ばれてるか知ってる?」
「知らないです」
「カルガモのヒナだよ。いつも僕の後ろをくっついて回ってピーピー叫んでるからだってさ。僕らの間には恋は芽生えないと思われてるワケ」
「それなら安心です。じゃあ、事務局でお待ちしています」
 ほっとする彼女になんか苛々する。

「そろそろ授業ですよ」
「えー、まだ少し早くない?」
「教室まで少し距離があるじゃないですか。このくらいに出ないと間に合わないですよ」
 ほらほら、と彼女は僕を急かす。彼女に言われると従ってあげようって気になるんだよね。カルガモのヒナっていうより牧羊犬かも。ちっちゃいからコーギーかな。
「なにニヤニヤしてるんですか」
「いや、コーギーって可愛いなって思って」
「コーギーちゃんが可愛いのは世の真理です。それよりもさっさと荷物まとめてください」
 彼女はきゃんきゃん吠えながら僕を追い立てた。

◇ ◇ ◇

 付き添い任務は驚くほど呆気なく終わった。怪我でしばらく任務に出てなかった子だったから念のため付き添ったけど、全く問題ない。休んでいる間に呪力操作を重点的に訓練したらしく、出力ムラが無くなり効率よく祓えるようになったと本人は分析している。頼もしい限りだ。
 優秀な教え子のお陰で思わぬ空き時間ができたのでシャワーを浴びて身だしなみを整える。また彼女に「自分だけお洒落して!」なんて怒られそうだ。
 ふと前回のデートを思い出す。楽屋で呪霊に囲まれて震えてたのが少し新鮮だった。事務局で仕事をしてるから忘れがちだけど、彼女は高専の卒業生じゃない。ついこの間まで非術師として生きてきたんだから当然だ。手を繋いだらピッタリとくっついてきて、ちょっと可愛かったな。本人は無意識なんだろうけど。
「良い匂いだったなぁ」
 彼女が楽屋で僕を頼って体を寄せた時に甘い香りがした。砂糖とか果物みたいな甘さじゃなくて穏やかで優しい甘さ。落ちつく香り、って言えばいいのかな。シャンプーの香りなのか香水の香りなのかは分からないけど、とにかく好みの香りだった。今度なに使ってるか聞いてみよう。

 彼女と一緒にいると気が楽だ。僕に何の思い入れもないから妙な勘違いもしないし、越えてほしくない一線も越えてこない。
 ――深い絆で結ばれてる関係って最強じゃないですか。仮に恋人じゃなくなっても、そこにあった繋がりが全て消えるわけじゃないって素敵ですよね。
 彼女の言葉がリフレインする。たぶん彼女の言動で一線を越えたのはこの言葉だけだ。いや、彼女にはそんな意図はない。僕が一方的に動揺しただけ。
 たぶん僕は、自分が思っている以上に、傑が高専を出奔したことに傷付いていた。一言「助けてくれ」と言ってくれてたら何が何でも助けただろう。でも傑は僕に何も話してくれなかったし、そのまま呪詛師の道を歩んでしまった。普通なら僕らの友情は壊れてしまったと考えるだろう。でも僕は今でも傑が一番の親友だと思ってる。その気持ちを僕は“執着”と名付けた。
 でも彼女の言葉は僕の気持ちに名前を付け直すきっかけをくれた。「壊れたものにしがみついている」のではなく、「壊れても、そこに残った大切なものを慈しむ」。
 彼女はそれを愛だと言う。僕の考える愛とは違うしイマイチ馴染まないけど、それでも気持ちがほんの少し軽くなった。

 私用スマホから陽気な音が流れてきた。彼女から電話だ。まだ仕事してると思ったけど珍しい。
「もしもし?」
『お疲れ様です』
「珍しいね。何かトラブルでもあった?」
『いえ、その逆で、先輩に頼まれて急ぎの書類を警察に持ち込むことになったので直帰でいいってことになったんです。まだ待ち合わせ時間には早いんですけど、もし良ければ早めに出かけませんか?』
「行く! 今どこにいんの?」
 そんな嬉しい申し出、断るわけないでしょ。
『何でそんなに食い気味なんですか。恐いんですけど』
「いいから!」
『えっと、事務棟出て正門の方に向かってます』
「分かった。僕もそっち向かう」
 ふと思う。彼女との約束は半年。約束の期限が過ぎたあとも秘書、というか補助監督としての仕事は続けるけど、僕の偽彼女ではなくなるのだ。関係を解消しても彼女は僕と一緒に遊んでくれるだろうか。

 正門には誰もいなかった。彼女を待つ間、この後のことを考える。仕事終わりだし終わってから夕食を一緒に食べて解散だろう。店はどこにしよう。あの近くは詳しくないし、同じ商業ビルのレストランフロアで探すかな。彼女が気後れしない程度に落ち着いた雰囲気の店と、賑やかそうな店。大事なのは多少長居できそうな店ってとこ。また推し談義か始まるかもしれないし。僕としては彼女自身のことをもう少し知りたいんだけどなぁ。前の職場の話とか、家族の話とか。たぶんその辺が彼女にとっての“越えてほしくない一線”なんだろう。あくまでもビジネス彼女だから深くは突っ込まないけど寂しい気持ちにはなる。
 考え事をしてるうちに彼女がやってきた。ここまで走って来たのか、少し息が上がっている。
「お待たせしてすみません」
「や、全然。それじゃ、行こうか」

 警察への届け出を済ませてからプラネタリウムに向かう。思ったよりも警察で時間を取られてしまったので、着いたのは開場時間ぴったりだった。
「え、三日月シートってこういうことなんですか?」
 薄暗い館内で彼女が若干引き攣った顔で僕に問いかける。目の前には二人がけの大きくて丸いソファ。青い座面に縁だけ黄色で名前通り三日月が浮かび上がっているように見える。靴を脱いでゆったりと寛げるのが売りで、隣のカップルは寄り添って楽しそうに会話していた。
「知らなかったの? ってか調べなかったの?」
「忙しくてそれどころじゃなかったんです。待ち合わせ時間も繰り上げちゃいましたし……」
 彼女はソワソワと辺りを見回しながら鞄の持ち手をぐにぐにと弄っていた。これは……、失敗したな。
「ごめん。今日は止めとこうか」
「えっ?」
「ちゃんと説明しなかった僕も悪かった。嫌な思い出にはしたくない」
 彼女は何かを言おうとして口を開いて、閉じた。そして徐ろに靴を脱いでソファに腰掛ける。
「いいの? 結構密着するけど」
「密着に関しては普段から五条さんの距離感がバグってるので、まぁいいです。ただ、そこそこ汗かいてたので異臭がしたら嫌だなと思っただけです」
 異臭って。何その表現。
「そんなこと気にしてたの?」
 僕も靴を脱いで彼女の隣に座る。あまりに可愛い理由だったもんだからニヤけるのが抑えられない。マジで可愛い。
「気にします! 私のイメージが下駄箱になったら嫌です!」
「ぷっ、はははっ! 下駄箱って!」
「笑い事じゃないですよ」
 備え付けの星型クッションを抱きかかえながら、彼女はソファに体を預けた。小柄な彼女はソファの中にすっぽりと収まる。僕も彼女にならって体を倒した。家具メーカーとコラボして作ったというソファはとても柔らかくて寝心地が良い。いつもの癖で背もたれの上に肘を置いた。さらりとした細い髪の毛が指先に触れる。

 ……髪の毛?
 ぶわりと全身から汗が噴き出した。横を見る勇気はないけど、たぶん僕は彼女に腕枕をしているような体勢になってる。腕を大人しく自分の体の側に戻そうかとも思ったが、そうしたら彼女とさらに密着することになる。今更かもしれないけど、それはなんとなく憚られた。そしてこんな時に例の良い香りが鼻を擽る。
「香水、つけてる?」
「ええ、まぁ。あっ! もしかしてキツいですか?」
「いや、全然。良い匂いだよ」
「そうですか。良かった……」
 二人の間に沈黙が流れた。今までそんなことなかったのに妙に口が乾いて手が湿ってくる。
「香水、普段からつけてるの?」
「プライベートの時は。今日は夜に五条さんと会うことになってたので、アトマイザー持ってきちゃいました」
「そっか」
「五条さんもいつも良い香りしてますよね」
「そう?」
「はい。好きな香りです」
 彼女の“好き”という言葉に顔が熱くなる。タイミング良く上映開始のアナウンスが流れた。助かった。

 プログラムが始まってから十分ほど経った頃だろうか。脇の下あたりに心地よい重さを感じた。隣を見ると彼女が眠っていた。日頃の疲れが溜まっていたのだろう。とても気持ち良さそうな寝息が聞こえてくる。何かを警戒することなく眠れる環境で育ってきた彼女。その幸せな眠りを守ってあげたい。自然とそんな気持ちが湧き上がってきた。
 少しだけ、良いだろうか。
 背もたれの上に乗せていた腕を少しだけ下ろして、彼女の肩に触れる。何かをむにゃむにゃ言っていたが目を覚ますことはなかった。思い切って肩を抱いてみる。彼女はころんと僕の方に寝返りを打った。柔らかい。僕を信頼しきっているのだろう。その事実が嬉しくもあり、少し寂しくもあった。
 ドームの夜空には流星群が降り注いでいる。
 この時間がずっと続きますように。
 作り物の流れ星に願い事をした。偽物に願ったところで意味もない。だからこそ傷付かないで済む。
 大人になった僕は随分と臆病になったみたいだった。

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