気になるあの子はキョンシーでした 参

 黄昏時、って言葉がある。まだ松明で明かりを取ってた時代は日が暮れると人の顔が分からなくなった。誰だあれは―「誰そ彼」って聞くような時間帯だから黄昏時、って言うらしい。
 今みたいに夕暮れ時の山道を一人で歩いてると、そんなことが頭をよぎる。任務のためにこの道は通行止めになっていた。せっかくだし車道のど真ん中を歩いてやる。道路のすぐ隣は森だ。木に太陽の光が遮られてるせいか、時間の割に辺りは薄暗い。道の先には真っ黒なトンネルが口を開けて待ち構えている。風もなければ生き物の気配もしない。こういう異様な雰囲気は人の恐怖を掻き立てる。人間ってのは理解できないモノを恐れるようにできている。そして何とかしてその恐れを取り除くために、全く関係のないモノ同士を結びつける。幽霊の正体見たり枯れ尾花ってやつだ。それで収束することもあれば、より多くの負の感情を呼び寄せることもある。それが堆積していけば呪霊の出来上がりだ。
 トンネルの入り口脇でこちらに向かって手を振ってるヤツがいた。キョンシーだ。ぴょこぴょこと跳びはねる度に顔の黄色い呪符がひらひらと揺れる。手足はちゃんとついてるけど落ち着きがない。素がアレなのか。
「お疲れ様です。すみません。わざわざこんな遠くまで来ていただいて」
「いや、それは俺も任務だから」
「なら良かった! じゃ、早速作戦会議しましょう!」
 妙に張り切った様子で、キョンシーはポケットから小さなメモ帳を取り出した。
「まずは概要の再確認からお願いします。事の発端は、このトンネル近くで起きた交通事故ですね」
 二カ月前、この近くで交通事故が起きた。逆走してきた乗用車と軽トラックが正面衝突したのだ。運良く死人は出なかったが、軽トラックの運転手は肋骨の骨を折る大怪我を負ったらしい。警察の取り調べに対し、乗用車を運転していた男はひどく怯えた様子で「地面から生えてきた手に襲われた」と答えている。メディアはこぞってこのニュースを取り上げた。トンネルのずさんな管理体制に始まり、幻覚を引き起こす病気や薬の種類などあらゆる可能性を示唆する報道がなされた。
 事態が悪化したのは事故が起きて一ヶ月が経った頃だった。巨大掲示板サイトのオカルト板に地元住民を名乗る人物が「同じ幻覚を見た」と書き込んだ。それを皮切りに、「手」の目撃情報や、地元に伝わる昔話なんかが次々と書き込まれる。やれ人喰い鬼だ、安全祈願の人柱だ、なんて話題でオカルト掲示板は完全にお祭り騒ぎだった。普段から巨大掲示板サイトに入り浸ってる補助監督がそれを見つけ、すぐに近隣の窓に調査を依頼した。が、オカルト掲示板を見た野次馬がいつもトンネル近くをうろついていて思うように調査は進まない。そんな中、遂に野次馬の一人が行方不明になってしまった。例のオカルト掲示板に「トンネルに入って実況する」「やばい。マジでやばい」と連続で書き込まれていたのが見つかったのである。事務局長はすぐに現地の警察に連絡して近隣の捜索を依頼した。翌日、数キロ離れた駅前のホテルで連絡の取れない宿泊者がいたと連絡があった。そしてトンネルの出口付近で、その宿泊者のものと思しき靴が片方だけ発見された。事態を重く見た事務局はすぐにトンネル周辺の道路を通行止めにする手続きを取って、キョンシーに調査・祓除任務をアサインした。
「前回の任務で呪霊の存在は確認できました。ですが―」
「トンネルに入っても何も起きなかったんだってな」
「はい。補助監督さんと一緒に入ると、こう、にょきっと手が生えてきたので、何らかの方法で生命活動を行っているモノとそうでないモノを区別してるみたいです。それと、トンネル内部の壁には、普通のヒビと呪霊の活動が原因と思われるヒビが入っていました。呪霊との戦闘になった場合、崩落する可能性があります」
「それで俺が駆り出されたってワケね」
 俺なら暗い場所でも呪力で呪霊の居場所を正確に判別できるし、万が一トンネルが崩落しても無下限で防げる。俺向きの任務だ。
「じゃ、さっさと中に入って片付けようぜ」
「えっ」
「前回の調査でトンネル内の様子も分かってるわけだし、あとは臨機応変にやりゃ充分でしょ」
「……そしたら補助監督さんに帳を下してもらうよう電話するので、ちょっと待っててもらえますか?」
 真面目か。てか帳なしで動けてんのに今更下す必要ってあんの?
 キョンシーは携帯を持った腕を空に向かって伸ばして、電波を探して徘徊した。現代アートにこういう作品ありそうだな。携帯依存を皮肉って「便利でより良い生活を送るために作られた機械を片手に、電波を求めて彷徨い歩く若者たち。小さな機械に操られた彼らは現代の生きる屍なのかもしれない」みたいな解説がつくタイプのヤツ。

 ―よく見ると顔は可愛いし。
 ファミレスで傑の言ってたことが頭をよぎる。横顔しか見えないけど、言われてみるとそれなりに可愛い。あれだ。教科書に載ってた上村松園の日本画みたいな顔。顔色は最悪だけど、優しそうな目をしてるし唇もふっくらしてる。結果、プラマイ若干プラス。ただし正面顔によって変動する可能性あり。そうなってくると正面から見てみたくなる。あの呪符、引っぺがしたらヤバいかな。……ヤバいか。アイツの術式は死体を使役する術式だ。わざわざ呪符で自分の肉体を制御してるってことは、使役者であるアイツ自身とアイツの肉体は別の存在だと解釈してるんだろう。もげた腕や脚が大暴れするのも多分そういう理屈だ。呪符を剥がして全身を制御できなくなったらどうなるのかは考えたくない。
 そうこうしてるうちに、空がさらに暗くなって帳が下りてくる。無事に補助監督と連絡が取れたみたいだ。
「お待たせしました。では、行きましょう」
「おう」
 俺たちは並んでトンネルの前に立ち、その境界線を踏み越えた。

 トンネルの中は完全な闇だった。帳を下しているとはいえ、まだ入り口付近にいるのに外の光が一切入って来ない。呪霊の結界に入ったか。事件発生から今日までのスピード感を考えると、成長して領域を形成し始めてる可能性もある。そうなると厄介だな。
「大丈夫か?」
「空気が臭くて鼻が曲がりそうです。ちょっと鼻を取るので待っててもらってもいいですか?」
「鼻が逃げても俺は探さないからな」
「……じゃあ、やめときます」
 口調は普段通りだけどキョンシーの発言がおかしくなり始めてる。前回の調査から状況が変わって焦ってんのか? だとしたら相当な成長スピードだ。
「はぐれないように俺の体、掴んどけよ」
「あ、いや、そこまでしなくても大丈夫です。五条術師の臭いは分かるので」
「いいから。視覚もほぼゼロ、鼻も麻痺しかかってんだろ。何かあったときにどうすんだよ」
「す、すみません……」
 キョンシーの手が俺の体を探して泳いでいた。俺はその手をしっかり掴む。ガキの時と同じような冷たい感触に少しだけ鼓動が早くなる。俺たちはゆっくりと足を進めた。報告ではトンネルに入るとすぐに呪霊が襲いかかってきたみたいだけど、今は指先すら見せない。こっちを警戒してんのか?
 暗闇の中、俺たちの足音だけが聞こえる。お互いがお互いの歩く速さに合わせようとして、不規則なリズムが響いていた。
「なぁ、聞いてもいい?」
「なんでしょうか」
「俺たち前に一度会った?」
 彼女の足音が止まる。俺も足を止める。
「覚えてたんですか?」
「やっぱりそうか」
 呪力に関して俺の記憶が嘘を吐くはずがなかった。コイツがあの時のキョンシーだ。ここ数日の間、悩まされてきた謎が一つ解けて、少しだけすっきりする。でもあの時のキョンシーが奇行多めなことも確定して複雑な気分だ。
「あの時、倉庫の扉ぶち破って助けてくれただろ」
「いや、そんな、大袈裟です。そもそも当主様に命じられてやったことですし」
「ガキの俺が酷い目に遭ってないか心配したっつってたじゃん」
「それは、そうですけど……」
「なんだよ。あれ、嘘だったワケ?」
「違います! 嘘じゃないです! 嘘じゃないですけど……」
 キョンシーの呪力が乱れる。そんなに動揺することか?
「子どもだったとはいえ、当代最強の呪術師に対して生意気なことを言ってしまって恥ずかしいんです」
「でも俺は救われた」
 当時の俺を子ども扱いするヤツなんて周りには居なかった。もちろん最低限の配慮はしてくれたけど、基本的には小さな大人として扱われた。確かに周りの術師は雑魚ばっかりだ。でも自分の倍以上の背丈の大人から殺意や悪意を向けられて怖くないわけじゃない。その恐怖や不安を受け止めてくれたのはコイツだけだった。
「その、あの時は、ありがとう」
「でも本当にそんなお礼を言われるようなことじゃ―」
「いいから素直に受け取っとけよ!」
「は、はい!」
 やっぱりらしくないことはするもんじゃない。変な汗掻いてサングラスがずり落ちてくる。

 俺たちの間に再び沈黙が訪れた。まだ呪霊は姿を見せない。どうすっかな。呪力の濃度で呪霊が居そうな場所の当たりは付けてあるから、そこを狙って蒼で無理やり引きずり出すのが一番簡単な方法だ。ただ、ここが山を掘削して作られたトンネルってのが問題だ。結界の中とはいえ、トンネルが掘られている山に衝撃がいく可能性が高い。俺の術式で土砂崩れが起きたら大変なことになる。俺一人ならここから瞬間移動して崩れた土砂を蒼で圧縮して固定できるだろうけど、二人の移動はやったことないからなぁ。やってやれなくはないだろうけど、山の中にコイツの体の一部を置き去りにしたら後始末が大変だ。とはいえ、他の方法で呪霊本体を引きずり出すには情報が足りない。何かヒントがあるはずだ。情報を整理しねぇと。
「五条術師」
「どした?」
「近くに、白骨死体があります」
 言ったそばから新展開か。てか死体の状態まで分かんの? 術式の効果か?
「状況から判断して、ですけど。さっき鼻が曲がりそうって言ったじゃないですか。あれ、死体が腐った時の臭いなんです」
「マジで? 全然気付かなかった」
「そこなんです。五条術師が気付かなかったところが妙なんです」
 キョンシーの主張はこうだ。
 結界に入ってすぐに死臭を嗅ぎ取ったキョンシーは、術式の適用範囲を広げて動かせる死体がないかを探した。結果、俺らがいるのと同じ空間に四体の動かせる死体を発見する。ここで肝心なのが「動かせる」という部分だ。キョンシーの術式の対象は腐敗していない死体もしくは白骨化した死体のどちらかだ。今回は死臭がしたから白骨化した死体だと判断したらしい。
 が、ここで問題が発生する。死臭ってのは特殊な薬剤を使わないと取り除くことが難しいくらい強烈だ。それなのに、その臭いを嗅ぎ取ったのはキョンシーだけ。死体が分解されて臭いの元が物理的に消えて、かつ空気中に漂う臭い成分が無くならないと臭いは消えない。俺が臭いを感じなかったのだから、臭い成分はトンネルの外へと拡散していったと考えるのが自然だろう。けど事前の調べではこの辺りで腐敗臭がしたという証言は一つもない。つまり、臭い成分が外に拡散した線はナシ。じゃあなぜ臭いがしないのか。そもそも臭い成分が極端に少ない状態だったのではないか。腐るよりも先に肉を分解すれば腐敗臭はしない。骨が残ってて、俺らも無事なところをみると、この空間に付与された分解能力はそこまで高くないと推測される。
「なるほどな。でも腐敗する前に肉だけを溶かすって、条件設定としてはそこそこ複雑だろ? この呪霊にそれだけの知性があるとも思えねぇんだよな」
「そこなんですよ。呪霊の行動に意味なんてありませんが、逆に言うと意味もなく複雑な条件の空間を生み出すとも思えないんです。高度な知性を持った呪霊だったらまだ理解できますけど、今回のはそうでもないじゃないですか」
「意味はあるけど、本体の呪霊がその条件を意識してないってことか」
 真っ先に思いつくのは呪霊が成長したことによって、そういう術式が刻まれた場合だ。でもこの呪霊は術式を持っていない。次に考えられるのは呪霊自体がそういう性質を持っている場合。トイレの花子さんがトイレから出られないみたいに、この呪霊にもそういう性質があるとしたら。
「……人喰い鬼か」
 掲示板に書き込まれたこの地方に伝わる物語。この呪霊とは無関係だったとしても、部外者によって勝手に結び付けられたのだとしたら。この呪霊は掲示板の噂によって急速に成長したんだからありえない話じゃない。
「人喰い鬼って……」
「ここの地域の昔話の鬼ね。たぶん俺らは呪霊の腹ん中にいる」
 モノを食うなら必ず消化器官がある。人型でイメージされやすい鬼なら胃袋だろうな。胃酸なら死体が腐敗する前に肉だけを分解する。けど、それを本体の呪霊が意識することはない。
「じゃあ、呪霊は私たちを警戒して襲わないんじゃなくて、もう襲う必要がなかった、と」
「そういうこと。だから、俺らがやるべきことは一つ」
 キョンシーが吹っ飛ばないよう、繋いだ手に呪力を集める。そしてあの時の感覚を思い出しながら術式に呪力を流し込んだ。手の中の呪力エネルギーが暗闇を赫く照らし出す。発散する力は周囲の空気を押し出して風を生んだ。光の強さに比例するように、風も強くなっていく。
「うぎゃあ」
「大丈夫か?」
「三つ編みの暴走で目が……目がっ……毛先が黒目にっ!」
 本人の言うように、三つ編みが風にあおられて不自然な動きで顔面に何度もぶつかっていた。
 これは……突っ込み待ちなのか? 三つ編みにも個別の意思があるのかとか、ここは空に浮かぶ城じゃなくて呪霊の腹の中だとか、青い石持ってないとか、その台詞はどっちかっつーと呪霊側の台詞じゃないのかとか、言いたいことは山ほどある。
 ま、いいか。コイツの場合は素だろうし。
「オマエの体は術式で俺の手にくっつけてっから、自分の三つ編みが暴れないように押さえてろ」
「ひゃい!」
 キョンシーが三つ編みを両手で押さえつけたのを確認して、体の向きを九〇度回転させる。ここまでの道は一本道だったから横向いときゃ穴は開くだろ。
 掌を離れた赫い光は風を切って暗闇の中へ吸い込まれていった。地鳴りのような音がしたかと思うと、外の光が差し込んでくる。光の弱さとトンネルに入った時間を考えると、あれはたぶん月明かりだ。その明かりがみるみる小さくなっていく。もう呪霊の体が再生を始めてるらしい。俺はもう一度赫を打ち込んで、キョンシーを掴んだまま飛んだ。

 外はもう夜だった。完全な闇の世界にいたから、月や星の光が明るく感じられる。振り返ると、俺が開けた風穴からヒビが入って、呪霊の体が崩れていくのが見えた。いくら成長したっていっても二発喰らって無事でいられるほどじゃなかったらしい。
 呪霊の体の向こう側に俺らが入っていったトンネルが見える。来たときにはなかった道路標識があるから、反対側に出たんだろう。土砂崩れが起きたような形跡もないし、トンネルも無事っぽい。ちょっと時間はかかったけど、結果は悪くないんじゃねぇの。

 地面に降り立つとキョンシーは流れるようにその場にしゃがみ込んだ。
「大丈夫か?」
「酔った……吐きそう……」
 よく分かんねえな。痛覚は無いけど嗅覚はあって、三半規管は弱いままってどんなバランスだよ。自分で体を操るんだったら、もう少し上手いことやれないの?
「ここで吐くなよ」
「……大丈夫です。吐きそうって言っても、体の感覚だけですから。うっ……そもそも胃の中も空っぽなんで、吐くものないですし。ちょっと休憩すれば復活します……」
「あっそ」
「あの、先に戻っててください。お待たせしたら申し訳な……うっ」
「はぁー」
 マジでめんどくせえ。コイツと一緒だとペースが乱される。どう見ても大丈夫じゃねぇだろ。どんだけ貧弱な三半規管なんだよ。天内だって大丈夫だったのに。こんなんでよく傑とアクロバットな殴り合いできたよな。
 小さく丸まった背中をさすってやる。吐くものがないのに吐きそうとか言ってるヤツに効果があるのかどうか分かんねぇけど、案外気持ちの問題で治ることもあるかもしれない。俺の手が背中に触れた瞬間、キョンシーは体を強張らせた。けど、何度もさするうちに少しずつ力が抜けていった。
「す、すみません。迷惑かけてしまって……」
「俺らペアで任務に就いてんの。だから一人を置いてくわけにはいかねぇの」
「はい……ごめんなさい」
 あー、やっぱ駄目だ。調子狂う。
「その……お互い様だろ。もしオマエが死臭に気付かなかったら、山ごとぶっ飛ばして先生に怒られただろうし」
「でもあのくらい、五条術師にだって―」
「こういう時は素直に受け取っとけって」
 キョンシーは目を見開いてから表情を緩めた。あの時と同じ笑顔にどきりとする。
「それと、その五条術師ってやつ、やめてくんない? なんかキモい」
「え、駄目ですか?」
「呼び捨てでいい。敬語もいらない。俺ら同世代くらいじゃん」
「……この場合、私の年齢ってどう数えるんですかね。やっぱり享年? それとも死体時代を含めた稼働年数?」
「どっちでもいいだろ。いちいち細かいな」
 てか稼働年数ってなんだよ。
「とにかく、五条でも悟でもいいから呼び捨てな。あと、敬語も禁止」
「分かりま……分かった」
「よし。じゃあ帰るか」
 前回の反省を活かして、手を差し伸べるだけにしておいた。いや、今回はどこも仮留めしてないから大丈夫だろうけど、念のため。あの腕すっぽ抜け、結構ダメージ喰らったんだよな。
 キョンシーは俺の手に掴まってよろよろと立ち上がった。動きが鈍い。このままだと補助監督に会うまでに夜が明ける。俺はキョンシーの手をしっかり掴んで、そのまま横抱きにした。降ろせとかやめろとか大騒ぎするかと思ったけど、案外おとなしくしてる。まだ状況が読み込めてないって言った方が正確かもしれないな。
「まだ本調子じゃないだろ。このまま帰るぞ」
「……はい」
 聞き逃しそうなくらいか細い声が返ってきた。いつもは煩いヤツが黙ってると逆に心配になる。
「悪い。万が一の事態に対応できるようにオマエを俺の視界に入れておきたいからこうしてる」
「す、すみません」
「だから敬語止めろって。あと、俺が早く帰りたいだけだからいちいち謝んな」
「じゃあ……ありがとう。五条、くん」
 まただ。また胸のあたりがざわざわする。
 ―五条、初恋の相手が変人でショックなのは分かるけど。
 ―私が彼女を貰っちゃおうかな。
 なんだよ。なんでこんな時に傑と硝子が出てくんだよ。しかも傑の方は嘘だっただろ。
「……おう」
 頭の中でニヤニヤしてる二人を追い出して俺はトンネルの方へ歩き出した。

 呪霊はいなくなったけど、トンネルの中はそれほど明るくはなかった。照明が壊れてるらしい。身を隠せるような暗い場所は無いけど、トラップなら仕掛けられる程度の暗さだ。
 視線を落とすと、キョンシーは胸の上で両腕をクロスさせるツタンカーメンスタイルでじっとしていた。たまに「気にしない」とか「集中」とかの単語が聞こえてくる。酔わないように必死なんだろうか。ここまでくると逆に笑えてくる。
 不意に、キョンシーに天内の姿が重なった。あの時も今みたいな感じで天内の体を抱えて暗い階段を上ったっけ。天内も変なヤツだったな。それに髪の毛も三つ編みにしてた。なんで死体ばっかりお姫様抱っこしてんだろ。
 もしもあの時、天内の体をコイツに見せてたら……
 そういえばコイツはなんで死んだんだろう。なんでキョンシーになって何十年もこの世に留まり続けてるんだろうか。
 無意味な「もしも」と「なんで」を振り払って、補助監督の待つトンネルの外を目指した。

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