気になるあの子はキョンシーでした 壱

「闇より出でて闇より黒く、その穢れを禊ぎ祓え」
 補助監督の言葉と共に空から黒い液体が湧いてきて、周囲一体をすっぽりと覆う。帳の中心には古い木造の校舎が建っている。いかにも何か「出そう」な雰囲気だ。
「こんな山奥の廃校に帳なんて要るか?」
「必要だよ。ここは心霊スポットだからね。野次馬がいても不思議じゃない」
 傑は俺の独り言を耳聡く拾って説教する。
 今回、俺たちに任されたのは他の術師の尻拭いだ。帳が上がったのに担当術師が戻って来なかったらしい。術師の生死も、祓除が完了しているかどうかも分からない。俺らにそういう任務が回ってくるのは初めてだったけど、やるべきことはシンプルだ。担当術師が生きてるかどうかを確認して、呪霊を祓うだけ。他の任務と大して変わらない。
「蠅頭レベルまで探しても、呪力は校舎の西側に一人分、南側に一人分しかないな。まだどっちもピンピンしてる感じだ」
「片方は祓えなかった呪霊の呪力だとして、問題はもう片方の正体か。できれば担当術師であってほしいところだけど」
「補助監督の所に戻れないくらい弱ってんだから、術師の方はもう死んでんじゃね?」
「どちらにしても、時間はかけたくない。二手に分かれよう。私は西側を見てくるから悟は南側を頼む。外の様子は私の呪霊に見張らせる」
「了解」
 俺たちは校舎へ向かって足を進めた。

 校舎の中は妙な荒れ方をしていた。一階はぐちゃぐちゃなのに二階は妙に綺麗なままだ。急に呪力が強まったのを感じる。相手の結界に入ったんだろう。結界内で幻覚を見せるタイプなんだろうか。試しに床に落ちている木片を拾って投げてみた。木片は乾いた音を立てて一回、二回と床を跳ねる。するとさっきまで床だった場所に大きな穴が出現して、その木片を呑みこんだ。
「あー、知覚に作用する感じ?」
 投げた木片が地面に吸い込まれたのを見て、俺はそこに穴があると認識した。だからその部分だけ本当の姿が見える。本体は近くにいて、うっかり穴に落ちたところを襲おうって魂胆なんだろう。この結界の主が術師だとしたら、俺の制服を見れば術式を解除するはずだ。それをしないってことは、呪霊で間違いない。担当術師の死体がないかを一応は確認する必要があるけど、祓うだけで済むなら楽勝だな。
「問題はこの幻覚か……」
 知覚に作用してるとなると、今この瞬間に俺が見聞きしているモノは全部呪霊の作り出した幻だと考えた方が良い。不自然なくらい呪霊の呪力が均一に漂っていて呪力探知もイマイチだ。俺の眼でも探せねぇってことは本体は結界の外に潜んでんのか? 結界を破壊して本体を直接叩くのが定石だけど、呪霊も結界を破壊されないように工夫を凝らしてるもんだ。そうやって体力と呪力を消耗させる。結界を壊さずにあえて呪霊の勝ちパターンに乗っかっておびき寄せるのもアリか。で、のこのこ出てきた呪霊を叩く。ただ、さっきの床みたいにあちこちに落とし穴があるのがネックなんだよな。無下限で地面からちょっとだけ足を浮かせておけば穴に落ちることは無いけど、呪霊が釣れそうな隙を作るのには微妙だ。
 ……めんどくさ。校舎ごと破壊して、術式で狂わされた知覚をリセットした方が早いわ。見張りの呪霊もいるし、校舎が倒壊し始めたら術師は傑が保護して外に出るだろ。
 外で見た校舎の形状を脳内に描き出し、最も効率良く校舎を破壊できる軌道をシミュレートする。足元に散らばってる木片や金属の棒を足でどかして、蒼を放つべく掌を廊下の奥へと向けた。

「……ん?」
 ふと、足元に違和感を覚えた。下を向くと、右足の横にさっきまで存在しなかった穴が空いていた。その穴には呪霊とは異なる呪力の痕跡が残っていた。
 俺はこの呪力の主に会ったことがある。確か高専に入学するずっと前だ。誰だったかは思い出せない。けど呪力を覚えているからには、俺にとって記憶に残すだけの価値がある相手のはずだ。記憶を辿っても顔が思い出せない。顔を思い出せないってことは俺にとって危険人物じゃないってことだ。だとすると親戚か、辞めた使用人か、親の仕事関係の誰かか。
 考え事をしているうちにいつの間にか呪霊の勝ちパターンに乗っかっていたらしい。俺の目の前には豚と芋虫が合体したみたいな呪霊が立ち塞がっていた。
「きっしょ」
 クソキモ呪霊の体を術式で小さく潰して、考え事の続きをする。親戚の線はナシ。さすがに親戚の顔は把握してる。あとは辞めた使用人。物心ついた時にいた使用人の顔と名前は全員覚えてる。とはいえ俺が生まれたばっかりの頃に辞めてたとしたら分からない。可能性は否定できないからいったん保留だな。あとは――
「繧医¥繧らァ√荳句濠霄ォ繧呈スー縺励※縺上l縺溘o縺ュ」
 さっき潰したはずの呪霊が金切り声を上げて襲いかかってくる。なるほど。頭をきっちり潰さねぇと何度でも復活するわけね。芋虫っつーか、プラナリアみてぇだな。あれ、プラナリアは頭を縦に切っても生きてるんだっけ。
「どっちでもいっか」
 掌を向けると、クソキモ呪霊はねじれながら収縮して消えた。本体の呪霊が消えたことで、結界も解ける。それと同時に遠くから破壊音が聞こえてきた。今さっき始まったんじゃなくて、ミュートを解除したみたいな感じだ。やっぱりあの呪霊の術式は、視覚だけじゃなくて聴覚にも作用していたらしい。
 音の方角的に傑が何かと交戦中なんだろう。帳が上がってないところを見ると、まだ担当術師は見つかってないらしい。どのくらい前から戦ってるのかは分かんねぇけど、傑なら一人でも充分だろう。でもさっきの呪力の痕跡のこともある。今は他人の解釈を挟まない生の情報が欲しい。俺は校舎の西側へ向かった。

 傑がいたのは瓦礫の山の上だった。校舎の一階部分は完全に潰れていて、低くなった屋根の上で誰かと殴り合いをしている。そいつの体を流れる呪力とさっき見つけた呪力は同じだ。呪霊と一戦交えて退却したところを傑に見つかったってところか?
 相手は随分と小柄なヤツだった。漫画みたいな中国服を着て、髪の毛を低い位置で一本の三つ編みにしている。額には黄色い呪符をくっつけていた。
「……キョンシー?」
 その姿はどこからどう見てもキョンシーだった。違うのはジャンプ移動じゃないところ。なんで日本の山奥にキョンシーがいるんだ? しかもあのキョンシーは仮想怨霊の類じゃない。本物の「動く死体」だ。確かにこの学校は有名な心霊スポットだけど、キョンシーが出るって内容じゃなかったはずだ。近くの村に中国人コミュニティがあったって話も聞いてないから、他所から持ち込まれたキョンシーだろう。でも誰が何の目的で?
 キョンシーは随分と頑丈らしく、珍しく傑が苦戦していた。傑の渾身の掌底打ちを鳩尾に食らってもぴんぴんしてるし、傑の呪霊が投げつけた木の柱はキョンシーの頭にぶつかって真っ二つに割れた。そんな冗談みたいな話があるか。
 とはいえ傑も特級だ。確かにキョンシーは疲れも痛みも感じないだろうが、傑の打撃を受け続ければ必ずガタがくる。しかも単なる打撃じゃなくて呪力を乗せたかなり重たいヤツだ。実際、キョンシーの動きはどんどん鈍くなってる。俺が助けに入るまでもない。キョンシーは傑に任せて、担当術師を探すか。

 その時だった。不意に脳内で古い記憶が溢れ始めた。暗い倉庫。硬い床。巨大な呪霊。長い三つ編み。冷たい手。シナモンの香り。
「……アイツだ」
 記憶の中の後ろ姿と目の前のキョンシーがピッタリと重なる。今の今まで忘れてた。アイツは敵じゃない。仮に敵だったとしても、話せば分かる相手だ。
 キョンシーは足払いを食らって地面に転がされた。体勢を崩しながらも傑の攻撃を躱している。早く止めねぇとマジで祓われちまう。
「傑! ソイツを祓うな!」
 術式で二人を引きはがす。出力調整が甘かったのかキョンシーが想定よりも弱っていたからなのか、キョンシーはそこそこの勢いで後ろへ吹っ飛んでいった。やば。俺がとどめ刺しちまったかも。
「悟、分かってるだろうけどアレは呪霊じゃなくて本物の動く死体だ。それも日本の山奥の集落で自然発生するとは思えないタイプのね。誰がどんな目的でアレを放ったのかは分からないけど、今、祓わないと集落がキョンシーだらけになってしまう」
 傑はキョンシーから視線を外さずに、俺に抗議した。傑の視線の先では、キョンシーがよろよろと上体を起こそうとしている。良かった。アイツから話を聞く前に祓っちまったかと思った。
「大丈夫だ。アイツとはガキの頃に会ったことがある。その時からキョンシーだったし、呪詛師の差し金の線もない。普通に日本語で会話もできるはずだ」
「呪詛師の差し金ではないという根拠は?」
「アイツの生得術式が『死体を操る』術式なんだ。自分の術式で自分の体を動かしてる。誰かに操られてる訳じゃない」
「それは呪詛師と繋がっていない証明にはならないだろう。自分の意思で非術師を攻撃しようとしてるかもしれないじゃないか」
「そこは俺の勘。でももし本当に呪詛師と繋がってて非術師を攻撃しようとしてるんだったら、いろいろ聞き出す必要があんだろ。祓うのはそれからだ」
「……分かった。悟がそう言うなら信じるよ。でも万が一に備えて私の呪霊を近くに置かせてもらう」
 傑の背後から巨大な蜘蛛の呪霊が現れた。粘着性の糸で敵の動きを封じることもできるし、毒で攻撃もできる便利呪霊だ。難点は虹竜とか空飛ぶマンタと違って、ビジュアルがかなりグロいところ。この呪霊が近くにいたら尋問後に始末されるって思うんじゃねぇかな。とはいえ傑がキョンシーを警戒すんのも分かるから、引っ込めろとも言えない。仕方ないか。
 俺らはゆっくりとキョンシーに近づく。キョンシーは俺を見て、呪符越しでも分かるくらい目をかっぴらいて驚いていた。
「アンタ、いつからこの現場にいんの?」
「二日前から」
 キョンシーは傑の背後にいる蜘蛛呪霊に視線をやりながら答える。術師が任務に出たのも二日前の夕方だったはず。担当術師を見かけてる可能性ありだ。
「俺ら、ここに呪霊を祓いに来た呪術師を探してんだけど、見かけなかったか?」
「正直に答えてくれれば、これ以上攻撃するつもりはない」
 キョンシーはゆっくりと瞬きすると、気まずそうに手を挙げた。
「えっと……私、です」
「は?」
「だから、その……お二人が探してる担当術師は私です」
「はぁあああああああ!?」
 担当術師を助けに来たのに、その助けるべき術師と全力で戦ってたなんて。そんなバカな話があるか?
「傑、なんで祓おうとしてんだよ!」
「仕方ないだろう! 担当術師が動く死体だなんて思わないじゃないか!」
「オマエもオマエだよ! なんでこの制服見て戦うんだよ。担当術師なら高専の制服知ってんだろ!」
 キョンシーは俺の大声に驚いて、大げさなくらい跳び上がって地面に正座する。
「だってその人がいきなり呪霊をけしかけてきたから……てっきり騙りなのかと」
「……それは、私が悪かった。済まない」
「担当術師の情報を確認しないまま救助に出たんですか?」
 なんだコイツ。傑が謝った途端に強気に出るじゃん。
「急ぎだったから事前資料のコピーしか用意されてなかったんだよ。そもそも傑とあれだけやりあえるなら自力で補助監督のとこに戻れんだろ。なんで戻らなかった」
「……呪霊と戦ってるときに腕がもげちゃったんです。私、日光を浴びると全身火傷で体が溶けちゃうから帳が下りてないと動けないんですけど、応急処置をしてる間に帳が上がっちゃって。補助監督さんには帳が上がっても戻って来なかったら、もう一度だけ帳を下してもらうように頼んでたんですけど……」
 キョンシーはしょぼくれていた。これは補助監督が悪い。補助監督がちゃんとしてればキョンシーは無事に任務を終えられたかもしれないし、俺らもこんな山奥まで来る必要もなかった。
「あーあ、無駄働きかよ……」
「まぁ、みんな無事だったんだから良かったじゃないか。呪霊も悟が祓ったんだろう? さっさと帰ろう」
 キョンシーは立ち上がろうとするが、ふらついて立てないようだった。傑の打撃が入ったところの呪力の流れが乱れている。そのせいで上手く体を操れないらしい。
「おい、大丈夫かよ」
「うーん。呪力が上手く流せなくて……回復までに少し時間がかかりそうなので、お二人は先に補助監督さんのところに戻って、このことを伝えてもらえませんか?」
「いや、そんな手間かけるくらいなら俺が運んで帰るわ。ほら、手ぇ貸せよ」
 俺が手を差し出してもキョンシーは地面に座りこんだままだった。もしかして呪力の流れを乱されたせいで思考力も落ちてんのか? 普段の任務とかどうしてんだよ。これじゃいつまで経っても高専に帰れない。仕方ないから俺はキョンシーの左腕を掴んだ。
「あっ! ちょっとそっちは――」
「いいからしっかり掴まってろ」
 キョンシーの腕を引っ張る。掴んだ腕の先に一瞬だけ体の重みを感じたが、ブチンという嫌な音と共にその重さがなくなった。
俺の手はキョンシーの腕を握ってる。でも腕の肩の部分から先は存在しない。肩の縁にはでっかいホチキスの芯がくっついていた。恐る恐るキョンシーの方を見る。キョンシーは完全に放心状態だった。視線をずらすと左側の袖が地面に向かってだらりと垂れさがっていた。袖の中身は空っぽで、どこかに消えたみたいだった。どこかっていうか……行き先は分かってんだけど。まぁ、つまり、そういうことだ。
「見事にもげたね」
「いやあああああああああああ!!」
「うわっ!」
 傑の言葉がトリガーになって、キョンシーは悲鳴を上げる。それと同時に俺が掴んでいた腕がびちびちと暴れ回った。これが動物ならまだギリ可愛げがあるけど、俺が掴んでるのはキョンシーの腕だ。あまりのキモさに思わず力いっぱい腕を投擲してしまった。
 多分その時の俺は槍投げの選手顔負けの良いフォームで腕をぶん投げたんだと思う。土気色の腕はぐんぐん飛距離を伸ばして、瓦礫の山のてっぺんにあったバスケのゴールにぶつかった。
「なんで腕がもげたって言ったのに引っ張るんですか! しかもあんな遠くまでぶん投げて!」
「あんなキモい動きしたら誰だって投げるだろ! 一本釣りされたカツオか?」
「ひどい! 呪力が上手く流せなかっただけなのに!」
 この世の終わりみたいな顔をしてキョンシーは地面に突っ伏して泣き出した。なんか……いちいちリアクションがでかくて面倒だな。
「腕がもげてたんなら先に言えよ」
「悟、彼女はちゃんと言ってたよ」
 やれやれといった様子で傑は溜息を吐く。いや、傑だってキョンシーとマジの殴り合いしてただろ。傑が呪霊をけしかける前にキョンシーとちゃんと会話してたらこんなことにはならなかったんじゃねぇの?
「ちゃんと謝りな。死体とはいえ女の子を泣かせたんだから」
「なんで俺だけが悪いみたいなことになってんだよ……」
 そうは言っても目の前でさめざめと泣かれると罪悪感が芽生えてくる。実際、仮留めしてたコイツの腕がもげたのは俺のせいだし、上手く腕を操れないのにキモいとか言われたら嫌な気分にもなるよな。……本気でキモかったけど、本人に言うべきじゃなかった。
「あー、その……悪かったよ。知らなかっ……たんじゃなくて、ちゃんと話聞いてなくて、腕引きちぎってごめん。それと、その、キモいとか言ってごめん」
 さっきまでぐずぐずと泣いていたキョンシーがびたりと泣き止む。そして恨めしそうな顔で俺を睨みつけた。
「じゃあ私の腕とって来てください」
「分かった」
「大事に扱ってくださいね」
「そうする」
「言っておきますけど、ちぎれても感覚はあるんで変なことしたら分かりますからね」
「しつこいな! なんもしねぇよ!」
 本当に面倒だ。ガキの頃に会ったときはこんなんじゃなかったのに。他人の空似か? いや、キョンシーが都内に二人もいてたまるか。記憶は美化される。きっと都合の良いように記憶が改ざんされたんだろ。
 腕は結構遠くまで飛んだらしく、取りに行くのが地味に大変だった。ざっと四〇メートルくらいか? 日本記録だったりして。いや、さすがにそんなことはないか。そもそも槍投げの日本記録ってどのくらいなんだろう。
 バスケのゴールに近づくと、キョンシーの腕が手を振っていた。本体は満身創痍って感じだったけど、腕はそうでもないらしい。たまにぴょこぴょこ跳びはねている。どういうシステムなんだよ。
 さらに近づくと、腕はしきりにバスケットゴールの後ろの板を指さし始めた。腕が指さす先に何かが書かれている。その辺に転がってる釘かなんかで引っ掻いて書いたんだろう。そこまでして俺に伝えたいことって何だ? 何か怪しい物を見つけたとか、非術師の怪我人がいたとか? 跳びはねる腕を大事に抱き上げて板に書かれたメッセージを見た。
 ――記録、三九メートル。日本記録まであと四二メートル。頑張れ!
「なんなんだよ!」
 キョンシーの腕は嬉しそうにサムズアップしていた。なんなんだよマジで。

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