気になるあの子はキョンシーでした 拾

 九番倉庫の七番棚の左端。そこが私の「食事」場所だった。
 ここには防火扉が設置されていて、万が一、私が火の不始末をしても他の呪具に燃え移る心配はない。だからお香を焚くときは七番棚の左端で、という規則になっていた。七番棚のあたりは構造上、日の光も入らないし風通しも悪くて虫が出やすいらしい。私がお香を焚くことで虫除けになるのも、ここが「食事」場所に選ばれた理由だった。
 ゆらゆらと立ち上る煙を眺めながらこれまでのこと、そしてこれからのことを考える。
 
 あの日、高専から救援隊がやってきたのは夏油くんが家入さんにメールを送った二時間後だった。メンバーは補助監督さんと家入さん、夜蛾さん、それに五条くんの四人。大げさな気がしたけど、夜蛾さんは私の肉体の変化に気付いてたらしく、もし私が夏油くんの仲間になっていたら家入さんや補助監督さんが危ないってことで五条くんと一緒に現場に来たみたいだった。家入さんが補助監督さんを治療している間、私は夜蛾さんにこってり絞られて、三カ月間の外出禁止を言い渡された。夏油くんとの関係について詳しく調査するためだ。だから任務に行くことも許されていない。家入さんからはもっと相談してほしかった、そんなに頼りないかとチクチク言われた。五条くんなんかは泣きそうな顔で、今日は絶対にトランクに入れさせないって後部座席に押し込められた。夜蛾さんは渋い顔をしてたけど、夏油くんと通じてる可能性を完全に否定できないのなら目の届く場所に置いておくべきだって一歩も譲らなかった。車で移動してる間、五条くんはずっと私の手を握ってた。
 外出禁止期間は家入さんが定期的に私の体を診に来てくれていた。検査ついでに皆の様子も教えてくれた。七海くんが一級推薦を断ったとか、格闘訓練ができなかった一年生は術師志望だったけど補助監督に転向するかもとか。あとは裏ルートで医師免許を取るための書類が面倒とか、高専医務室に就職するのに面接がだるいとかそんな話だった。一度だけ家入さんに忙しい時期なのに申し訳ないって謝ったら「友達と話したいからここに来てる。友達じゃなかったら引き受けない」って真顔で返された。

 五条くんにはあのあと一度も会えていない。私の任務を代わりに全部引き受けてくれてるらしい。それに当主交代の準備のために実家に戻ることが増えて、そもそも高専に顔を出してないみたいだった。随分気が早いと思ったけど、当代当主が存命のうちに代替わりするのは久しぶりだから、いろいろ大変らしい。
 ―なんか卒業したら婚約するとかしないとかで揉めてるらしいよ。
 前回家入さんが来てくれた時にそんなことを言っていたのを思い出す。
 どんな結婚式になるんだろう。
 お祝いの席に死体を置いておくわけにはいかないから、五条家の結婚式に参加したことはない。やっぱり昔ながらの紋付袴なんだろうか。それとも洋装? あとから写真だけでも見てみたい。将来、五条くんの子どもが産まれたら高専に通わせるのかな。その子との格闘訓練、すごく緊張しそう。怪我でもさせてしまったら大変だもの。後輩と組んでるときの五条くん、かなりスパルタだったから「余計な気を回さなくていい。硝子も居るんだから手足の骨を折ってやるつもりでやれ」って言われるのかな。ああ、でもその頃には当主としてのお仕事とか子どものこととか家のことで忙しくて、私と喋ってる暇なんてないか。淋しいけど、その方が健全だ。
 次回の検査で問題なしってことになれば外出禁止は解除される。そしたら夜蛾さんに別のところに移してもらえないかお願いしてみよう。京都でも福岡でも北海道でも、どこでもいいから五条くんに会わずに済む場所がいい。婚約するのに私が五条くんの側にいたら話がややこしくなる。
 棚の向こうから光が差し込んできた。誰かが呪具を取りに入ってきたらしい。
「なんだこれ……けむっ! げほっ、ぐうぇっ」
 少し離れたところから五条くんの声がして、動かないはずの心臓が跳ねる。ここにはせいぜい四級程度の呪具しかない。五条くんがこんなところに用があるとは思えないけど。
 入口から差し込んでくる光が道みたいに床を照らしている。その道を五条くんが歩いている。これから出張任務なのか、大きなスーツケースと鞄を持っていた。ふわふわの銀髪が夕陽を浴びて橙色に染まっている。
 やっぱり五条くんは私とは別世界に生きてる人だ。
「おっ、いたいた」
 光の当たらない場所にいる私を見つけると、五条くんは前と変わらない笑顔で私に手を振った。
「なんか、けむくね?」
「えっと『食事』中でお香を焚いてたから。今、火を消すから待ってて」
「いい。その感じだとあとちょっとだろ? 急ぎじゃねえから」
 慌ててお香の火を消そうとした私を制して、五条くんは私の隣に座った。
「久しぶりだな」
「うん。久しぶり」
 なんだか変な感じだった。さっきまで五条くんの将来を勝手に妄想してたから少し気まずい。
「硝子から聞いた。順調なんだって?」
「うん。次回の検査で問題なければ、外出禁止は解除だって。任務も出られるようになるよ。ずっと任務を代わってくれてたんだよね。ありがとう」
「気にすんな。呪霊自体は雑魚ばっかだから」
 楽勝楽勝、なんて笑ってる五条くんが眩しい。夜蛾さんへのお願いが認められたらまた会えなくなるからちゃんと覚えておかないと、って思ってたのに直視できない。
 
「そのスーツケースは? 出張任務?」
 だから目についたスーツケースの話を振ってみた。
 このセリフを待ってました、という感じで五条くんが悪戯っぽく笑う。
「これはオマエの移動用」
「移動用?」
「学長から許可取れた。一緒に映画館に行くぞ」
 ……今、五条くん、なんて言った? 
 映画館って、あの映画館?
「あー、まだ外出禁止期間だけど、硝子の検査結果も悪くないし今回は特例として認めるってさ」
「で、でもこの時間だとまだ外は明るいし、私が行ったら騒ぎになっちゃうんじゃない?」
「それも大丈夫。〝窓〟の中にミニシアターを運営してる人がいるらしくて、事務局経由で貸し切りにしてもらった。映画館に着くまではスーツケースで移動すれば問題ないだろ」
 五条くんは私にチケットを手渡した。上映作品は前に皆で視聴覚室で観たあの映画だ。チケットには今日の日付と一緒に「特別貸切」って書いてある。席番はEの六番。
 体の真ん中からじわじわとときめきが溢れてくる。本当に、映画館に行けるんだ。
「嫌だった? 別の作品の方がよければ―」
「ううん、すごく嬉しい。都合の良い夢を見てるみたいで……どうしよう、どうしたらいい!?」
「どうしたらって、俺に聞かれても」
「信じられない! 映画館に行けるなんて! 五条くん、ほんとにありがとう! もうなんてお礼を言ったらいいか」
「映画館くらいで大げさだろ」
「だって生まれて初めての映画館なんだもの!」
 私が生きてた頃、映画館はいかがわしい場所とされていた。近くを通ったときに映画館の方を見ただけでお父様に叱られたものだ。でも女学校の先輩は映画館で出会った素敵な学生さんとそのまま駆け落ちしてしまったし、同級生もお付き合いしている人と一緒に行って暗い中で手を繋いでどきどきしたなんて言っていた。口では「はしたない」とか「怖い」なんて言ってたけど、本当は羨ましかった。自由恋愛を楽しんでいる皆がとても輝いて見えてた。
 だから私にとって「映画館に行く」っていう行為そのものが自由の象徴だった。
「火、消えたみたいだな。行くか」
 五条くんは持ってきたスーツケースを床に広げる。私はいつものように体を丸めて中に入った。こんなに楽しい気分でスーツケースに入ったのは初めてだった。
 
 スーツケースに揺られること数十分。コンコン、と外側をノックする音が聞こえた。映画館に着いたらしい。ゆっくりとファスナーが開いて、照明の光が入ってくる。
 真っ先に目に入ったのは額に入ったポスターだった。ポスターの下には長机が置いてあって、チラシやパンフレット、新聞や雑誌の切り抜き、関連本なんかが綺麗に並べられている。手作りの映画の見どころメモや同じ監督の別作品のリストもある。きっと小さな映画館だからできることなんだろう。このコーナーを作った人の映画愛が見えるようで、すごく素敵だった。
 五条くんと一緒に入口でチケットをもぎってもらう。初めてもらう半券。大事に取っておこう。私の宝物だ。薄暗いスロープを抜けて中に入る。
「え……」
 部屋の中は水仙の花でいっぱいだった。スクリーン前のちょっとした舞台みたいなところは黄色で埋め尽くされていた。それだけじゃなくて、座席の背もたれにも一輪ずつ水仙の花が飾り付けられている。
「こ、これ……」
「こういうのに憧れるって言ってただろ。ほとんど造花だけど」
 五条くんによると、事前の下見の時に映画館の人がこの飾り付けを提案してくれたそうだ。映画館の広報として、実施レポートと私たちの感想や室内の写真を使うことを条件に、ここまでやらせてくれたらしい。
「あのさ、映画観る前にオマエに話したいことがあるんだけど」
「なに?」
 五条くんはかなり緊張してるみたいで、すぐには話を切り出してくれなかった。何度も深呼吸をしてる。
 私だって緊張してる。もし五条くんが映画のあのシーンを再現しようとしてるなら、私にプロポーズしようとしてるってことだもの。私は死体で、五条くんとは主従関係にある。私の夢を叶えるためにこれだけ手を尽くしてくれたのに断らなきゃいけないんだから、緊張しないわけがない。
「父親と話してきた。オマエとの主従契約に関して、全部俺に任せるってさ」
「えっ、そんなことできるの?」
 普通の契約ならまだしも、呪術師同士の契約だ。そんな柔軟なことってできるのかな。
「かなり前にガキの当主がいたの覚えてるか?」
「覚えてるよ」
 四人兄弟の末っ子で、父親を早くに亡くした上に他の兄弟たちも出征して帰って来なかったのだ。だからあの子が当主になったんだけど、その時の揉めっぷりったら……関係ない私にまで火の粉が降りかかってきて本当に大変だった。
「その時のことが記録に残ってたんだよ。それによると、オマエとの主従契約は成人するまで当主の叔父に委任するっていう縛りを結んでたんだ。特にマズいことは起きなかったみたいだから今回もそうしてる」
「なるほど。えっと……では、改めて―」
「そういう挨拶とかいらねぇから。そもそも、そういうつもりで言ったんじゃないし」
「じゃあどういう……」
「オマエとの主従関係を解消したい。これをオマエに返せば主従関係は解消されるんだよな?」
 五条くんは鞄の中から古びた木箱を取り出した。
 もう頭がパンクしそうだ。次から次へと起きるはずのないことが起きている。やっぱり私は夢を見てるのかもしれない。
 だって五条くんの持っている箱の中には私の心臓が入っているんだから。
 最初に主従関係を結んだ当主が「関係をより強固なものにするためだ」とか言って、私の心臓を摘出した。この心臓が当主の手にある間は当主に従う。そういう取り決めだった。
「どうして、そこまで?」
 だって五条くんがここまでする理由がない。今のままでも誰も困らないのに。
「五条家を恨んでるって言ってただろ。今までそんなこと気にも留めてこなかったんだよ。呪術師の家だったらどこも多かれ少なかれ後ろ暗いことをしてて、いろんなヤツの恨みを買ってる。五条家だって例外じゃない。でもその結末までは知らなかった。あー、いや、『知る必要もないと思ってた』って言った方が正確か。弱い奴は死ぬ。知恵が回らない奴も死ぬ。それだけだろ?」
 五条くんの言葉が突き刺さる。とても残酷な言葉だけど、その通りだ。私は知恵が回らなかったから非術師に殺されたし、弱かったから五条家に捕まった。どんなに恨んでみたところでその事実は変えようがない。
「オマエは五条家の『後ろ暗いこと』の結末だ。五条家を継ぐってことはオマエみたいな結末を全部背負うってことだろ。オマエと一緒にいて話を聞いてたら、そういう歴史と向き合わないのはなんか違うと思ったんだよ。オマエと住む場所とか必要なものは五条家が用意する。当面の間は今まで通り任務に出てもらうことになるけど、それもやりたくないならやらなくていい。そこは学長と話を付けてある」
「本当に、いいの?」
 帰る家ができたら私は土に還ってしまう。そりゃあ、新しい家に住み始めたからってすぐに動かなくなるわけじゃないけど、それでも一年以内にはそういう日が来ることになる。
「本音を言えばすっげぇ嫌。好きなヤツが遠くない未来、確実に死ぬのが平気なヤツなんていねえだろ。でもオマエが物みたいに扱われてんのを見るのも嫌なんだよ」
 五条くんは舞台の上に置いてある水仙を手に取った。その束だけは本物の花だったらしく、甘い香りがする。その水仙の花を添えて、五条くんは木箱を私に差し出した。震える手で箱を受け取る。もちろん、私だって五条くんともっと一緒にいたい。五条くんが死んでしまうその時まで見守っていたい。でも同じくらい自由になりたかった。

「……」
「……」
 木箱を受け取ったはいいけど、別に何か派手なことが起こるわけじゃなかった。アニメだと私の体が光るとか、心臓がふわっと箱から出てきて私の胸に吸い込まれていくとかの演出がつくのに。
「……これ、本当に解除できてんのか?」
「たぶ、ん?」
「なんかこう、ぱっと分かる証拠とかねぇの?」
「そんなこと言われても……あっ!」
 私は片手で額の呪符を引っぺがした。雨にも負けず風にも負けず夏油くんとの組手にも負けなかった呪符が簡単に剥がれた。
「この呪符ね、五条家当主との契約内容を守らせるためにつけてたの。主従関係が解消されるまでは剥がれないことになってるから、これが証拠と言えば証拠かなぁ」
「なんか地味だな」
「んー、あとは箱の中の心臓が動きだしてると思うよ。運ぶ血液がないから空運転って感じだけど」
「あー、それはいい。ここで生の心臓は見たくない」
 木箱の呪符も剥がして蓋を開けようとする私を五条くんは慌てて止めた。まぁ、それもそうか。せっかくのロマンチックな空間なのに生の心臓が出てきたらホラーになっちゃう。
 
「じゃ、これでオマエも晴れて自由の身だな。家の問題とかは映画観てから相談しようぜ」
「あの! そのことなんだけど」
 席に向かおうとした五条くんを呼び止める。五条くんはきょとんとして私を見た。
 木箱と花束を空いてる座席に置いて、代わりに造花の水仙を拾う。あり合わせだけど仕方ない。だってこんなことになるなんて思ってもみなかったんだから。
「あのね、その……家に帰ると動かなくなるって言っても、私がその場所を自分の家だって思えるまでは動いていられるの」
「それで?」
「迷惑かなって思ったんだけど、でもそんなに長くはかからないと思うから、その……もう一つだけ私のお願いを聞いてほしいの」
 造花の水仙を五条くんに差し出した。五条くんなら分かってくれる。そんな私の期待に応えるみたいに五条くんの顔がみるみる赤くなっていった。
「これ、俺が考えてる通りであってんだよな?」
「私、五条くんのことが好き。キョンシーの私をずっと人間扱いしてくれて、自由にしてくれて、本当に嬉しかった。だから、その、ちょっとの間だけでいいから私の家族に――」
 言い終わる前に五条くんは私を抱きしめた。耳元で五条くんの心臓が細かなリズムを刻んでるのが聞こえる。
「ちょっととか言うなよ。俺はずっとのつもりでいるんだけど」
「えっ、でも婚約するんでしょ?」
「はぁ? しねえよ」
「で、でもそれだと次の当主がいなくなっちゃうじゃない。私のことなら気にしなくていいから。あの、私のお父様も別宅にお妾さんを住まわせてたみたいだし、そういうのには理解があるから」
「俺が嫌なんだよ。当主なら親戚の誰かしらが継ぐから問題ない。それともずっとは嫌なワケ?」
「嫌じゃないけど……」
 さすがに申し訳ない。キョンシーに縛られて残りの人生を生きていくなんてあんまりだ。
「嫌じゃないなら問題ないな。はい、この話は終わり。いい加減映画観ようぜ」
 五条くんは私の手を引いて席に着いた。今はもう話しても仕方がないか。また後できちんと話をしよう。
 私が席に着いたのを確認すると、五条くんは後ろを振り向いて手を振った。部屋の中がゆっくりと暗くなっていって、スクリーンに上映予定作品の予告が映し出される。私はそっと五条くんの手を握ってみた。五条くんは私の手をしっかりと握り返してくれた。なるほど。確かにこれは胸がどきどきして、甘酸っぱい気持ちでいっぱいになる。
「あのね、五条くん」
 予告の映像を見ながら五条くんに話しかけた。
「どうした?」
「私、実は五条くんに嘘を吐いてたの」
「嘘って?」
「前に名前を聞かれたときに忘れちゃったって言ったでしょ。あれ、嘘なの」
 これも五条家当主との取り決めの一つ。名前を名乗ってはいけない。
「へえ。じゃあなんて名前?」
 ずっと言いたかった。五条くんに名前で呼んでほしかった。人としての私の証明だから。
 そっと五条くんに耳打ちする。
「   」
 五条くんは私の肩を抱き寄せた。
「好き。世界で一番、愛してる」
 私は世界で一番、幸せなキョンシーだ。

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