癒やされたいのさ

「――。起きて」
 心地良いテノールの声がした。その声が私を夢の世界からゆっくりと引き上げる。
 目を開くと傑の顔が直ぐ側にあった。仮眠のつもりでソファに横になったら寝てしまったらしい。
「ただいま」
「おかえり。お誕生日おめでと」
 傑の大きな手が私の頬を包む。そのまま傑の顔が近付いてきた。目を瞑ると唇に柔らかな感触が。ちゅ、と音を立てて傑の顔が離れていく。
「ごめん。寝ちゃった」
 起き上がってソファの上で三角座りをする。傑は隣に座って私の肩を抱く。ふわりと香る香水。私の大好きな、傑の香りだ。
「寝ててよかったのに。昨日まで忙しかったんだろ」
「ちゃんと起きておめでとうって言いたかったの」
 こうなることは予想してた。だから傑と休みを合わせて、ちゃんとしたとお祝いは明日やることにしている。それでもやっぱり当日にお祝いは言いたいじゃないか。
「そしたら、私のお願いを聞いてくれる?」
「なに?」
「あとでマッサージをしてくれないかな。久し振りにデスクワークをしたら肩周りがガチガチになってしまってね」
 よっぽど私がしょぼくれてたんだろう。傑が魅力的な“お願い”をしてくれた。
「任せて。こう見えて結構上手なんだから」
「楽しみだな。そしたら軽くシャワーだけ浴びてくるよ」
「せっかくだから湯船に浸かりなよ。その方が体も休まるよ」
「待ってる間、起きてられる?」
「大丈夫ですぅ」
 少しむくれてみせると、ごめんごめんと言って私のおでこにキスを落として脱衣所に入っていった。

◇ ◇ ◇

「そしたらうつ伏せになってくれる?」
「分かった」
 傑の体がベッドに沈み込む。知ってはいたが大きな背中だ。寝間着を着ていても筋肉の分厚い鎧で覆われているのがよく分かる。今更だけど、私の力でもみほぐせるのか不安になってきた。
「痛かったり違和感があったりしたらすぐに教えてね」
「分かった」
 私は指の関節を使って傑の肩を指圧した。
 思ったとおり、肩周りの筋肉は凝り固まって指が入らなかった。慎重に体重をかけていくと、呻き声が聞こえてくる。てっきり気を遣って“お願い”をしたのだと思っていたけど、案外本気だったのかもしれない。
「めっちゃこってるね。任務で動き回ってるのに」
「どうもパソコンのモニターとキーボードの位置が体に合ってなかったらしくてね。一日中、前屈みになったらこのザマだよ」
「あー、それは辛いね」
 分かる。私は事務仕事がメインだから自分用にいろいろカスタムしてるけど、いい感じのカスタムが見つかるまではかなり辛かった。
「にしても……、本当に上手だね。もっと早くやってもらえばよかった」
「ふふっ。一回につき、一ダッツね」
「一ダッツは何チュー?」
「換算するもんじゃないけど、あえて言えば四チュー?」
「じゃあ四百チュー、先払いで」
「なにそれ。傑、ほんとキス好きだよね」
「キスが嫌いな男なんていないよ。それに君だって好きだろ?」
 嫌じゃないどころか大好きだ。傑とキスしてると頭がふわふわして、とても気持ち良い。それになんだか心が満たされるような感じがする。傑が上手いのか、相性の問題なのか。経験人数の少ない私には分からない。
「まぁね」
 なんとなく気恥ずかしくて、ごにょごにょと言葉を濁す。傑がうつ伏せになっててよかった。微妙な顔をしてるのは見られたくない。

 肩がほぐれてきたので、背骨の両脇を腰に向かって指圧していく。
「んっ、ふぅ」
「ごめん。痛かった?」
「いや、大丈夫。気持ち良くて思わず喘いでしまっただけだから」
「おい言い方」
「何か変なこと言ったかな?」
「や、この流れで喘ぐはセクハラでしょ」
「どうして? 喘ぐってのは苦しそうに息をすることだろう? どこもおかしくはないはずだけど」
「そりゃあ辞書的な意味でしょ」
 傑は、徐に上体を捻って私の方を向く。
「なら、それ以外にどんな意味があるのか、私に教えてくれないかな」
 切れ長で涼しげな目に先ほどまでとは少し違った色が乗る。心臓の鼓動が早くなり、体が熱くなる。
 喰われる。
 喰われてしまいたい。

 ぺし。
「痛っ」
「はい。今日はもう閉店です」
 部屋の電気を消して傑に背を向けて布団に潜り込んだ。
 熱っぽい視線を送られただけで疼くなんて認めたくないし、傑にも知られたくない。
「ごめんごめん。ちょっとからかいたくなって」
 傑も布団に潜り込み、後ろから私を抱き締めた。すっぽりと傑の腕の中に収まっていると、体全体が守られているみたいで落ち着く。
 お腹に添えられた手に自分の手を重ねると、傑の手に捕らえられて指が絡め取られた。
「ねぇ、もう一つ私のお願いを聞いてくれないかな」
「なに?」
「キスしたい」
 答える代わりに体の向きを変えた。
 すぐに口が塞がれた。互いの唇を食む。だめだ。思考が蕩けてくる。傑の腰に腕を回すと、傑も同じように私の腰を抱いた。
「明日は朝寝坊したいな」
「いいよ」
 熱を帯びた手が肌に触れる。
 脚同士を絡めあって、互いの熱を分け合う。
 今日は傑のお願いを何でも聞いてあげよう。二月三日はまだ一時間もあるのだから。

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