花を贈る

 彼女の胸に睡蓮の花が咲いた。
 ちょうど鎖骨の下あたり、彼女が任務で呪霊の攻撃を受けたのと同じ場所に、掌と同じくらいの大きさの睡蓮が咲いた。彼女の体に寄生して我が世の春とばかりに白い花弁を開き、彼女が苦しそうに呼吸をする度に清らかな芳香を放っていた。
 この憎たらしいほど美しい花は、彼女の体の奥深くまでしっかりと根付いていた。呪力を込めたメスで花を切り取って反転術式で治しても、数日もすれば花が咲いてしまう。過去の任務の報告書から僕の実家に保管されているご先祖様の日記まで、あらゆる資料にあたったけれど似たような事例は他になかった。

 彼女の病室を訪ねると、開けっ放しの扉の向こうからカタカタとキーボードを打つ音が聞こえてきた。ここ数日、彼女は病室でもできるような簡単な事務作業をして過ごしている。僕としては無理をしてほしくなかった。でも彼女は、一日中寝てばかりでは申し訳ないし暇で死んでしまいそうだと譲らなかったのだ。
 コンコン、と開いている扉をノックする。彼女は画面から顔を上げると、にっこりと笑って手を振った。
「五条、今日も来てくれ……けほっ……。暇なの? けほっ、けほっ」
「どっかの誰かさんが心配だからすっ飛んできたんだよ」
 咳が止まらない彼女の背中をさする。布越しに感じる背骨の存在感が前よりも大きくなっているような気がした。
 咳が落ち着いた彼女からパソコンを取り上げ、代わりに持ってきたブーケを彼女の胸に抱かせた。この忌々しい睡蓮の花は、他の種類の花が側にあるとなぜか元気をなくして萎れる。偶然、見舞いに来ていた悠仁たちが気付いたのだ。だから僕は毎日この病室に花を持ってくる。

「いつも悪いね。気、遣わせちゃって」
「僕が好きでやってるから気にしないでよ」
「気になるよ。かかったお金だって馬鹿にならないだろうし」
「愛しの彼女の命が助かるなら安いもんだよ」
「またまたぁ。自分が楽しようと思ってそんなこと言ってんでしょ?」
 そういうつもりじゃない――そう否定できたら良かったのに。
「万年人手不足なのは分かってるでしょ? 実際復帰して貰わないと困るんだよねぇ」
 でも僕には仕事の文脈の中でしか語れなかった。
 その文脈を外れたら、認めたくない現実を直視しなくちゃいけなくなるから。
「復帰、できればいいんだけど」
 最初は珍しかった彼女の弱音にも慣れてしまった。嫌な慣れだよ、全く。
「できるように僕も硝子もバックアップするよ。術師は無理でも教師って手もあるし」
「……うん」
「そうだ。今度僕のオススメのパティスリーでケーキ買ってくるよ。あそこの季節のフルーツケーキ、絶対気に入るよ」
「ありがと。楽しみにしてる」
 彼女の小さな手に僕の手を重ねる。お揃いの指輪が、窓から射し込む陽光にきらりと光った。

 彼女の体調が良くなることはなかった。
 少し前までは難なくこなせていた事務の仕事もできなくなって、寝ているだけの日が増えた。その時が近付いていると誰もが思った。
 このままでは後悔する。そう思った時には既に体が動いていた。
 エゴ? ああ、そうだとも。これは僕のエゴだ。

 その日、彼女は硝子と一緒に外に出ていた――と言っても、高専の校庭を車椅子でぐるりと一周するだけなのだが。僕はサプライズがしたくて、その時間を狙って彼女の部屋に花を持って行って飾った。気に入ってくれるといいけど。
「お疲れー」
 短い散策から帰ってきた彼女を入口で出迎えて、硝子と車椅子を押す役目を代わってもらう。事情を知ってる硝子は何も言わずにどこかへ行ってしまった。
「生徒の皆はどう? 元気にしてる?」
「相変わらずだよ。みんなで出かけたり、誰かの部屋に集まって持ち寄りパーティーしてるんだってさ」
「青春だねぇ。私の代はそういうのなかったからなぁ」
「意外。皆付き合いよさそうだったのに」
「誰も言い出さなかったんだよね。言えばやったと思うよ」
 病室までの短い時間、彼女と他愛もない思い出話をした。一緒に行った喫茶店のケーキの味とか、初対面の印象とか、高専時代の暴露話とか。どれも愛おしい思い出だ。考えてみると、僕は心の準備ができるのだから恵まれているのかもしれない。別れの言葉を告げることもできないまま、という人も少なくないのだから。
「今日は花持ってないの?」
 僕の心臓がびくりと跳ねる。
「外に出てたみたいだから部屋に飾っておいたよ」
「ありがと。どんな花?」
「んー、いろいろ」
「いいじゃん、教えてよ」
「どっちにしてももう部屋に着くんだから、もう少し我慢して」
 彼女の病室に着いた。ドアを閉め切って、わざわざ“面会謝絶”の札もぶら下げている。
「何これ。こんなのなかったよね?」
「サプライズの基本は情報管理だよ?」
「大げさだなぁ」
「僕は何事にも全力投球なのさ」
 なんて気取ってみたけど、本当はめちゃくちゃ緊張してる。口から心臓が飛び出しそうだし、手は冷や汗でべちょべちょだ。僕は震える手で病室のドアを開けた。

「え、これって……」
 彼女の病室は花で埋め尽くされていた。まぁ、僕がそう手配したんだけど。
 白い壁に合うようにピンクや水色などのパステルカラーの花を集めて、とにかく置ける場所全てに花を敷き詰めた。いつもは葉を落としてもらうんだけど、今日はそのままにしてもらった。治療のためじゃなくて、目で楽しむための花を贈りたかったから。
「どう?」
「すごく素敵。イングリッシュガーデンみたい!」
「喜んでもらえて良かった」
「嬉しいよ。ほんとに嬉しい。ありがとう」
 僕がしゃがむと、彼女は僕の首に細い腕を巻き付けた。僕は膝の裏に腕を差しこんで横抱きにして彼女をベッドまで運んで寝かせる。花に囲まれてベッドに横になる彼女は、なんだか水に浮かぶオフィーリアみたいだった。

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