誕生日の思い出

「あ、傑」
 任務後に食堂に立ち寄ったら同期の皆と鉢合わせした。悟はいつものサングラスの代わりにろうそくの飾りがついた浮かれ眼鏡をかけていた。硝子も紙製のギラギラ三角帽子を被っているし、梓紗は触角の先にプレゼントボックスがついたカチューシャを着けていた。どうみてもパーティーの準備中という三人と、「しまった」というような表情。なるほど。入るタイミングを間違えたらしい。パーティーに呼ばれてない奴が乱入したらそんな表情にもなる。誘ってくれなかったことは悲しいが仕方ない。今日のところは部屋でご飯を食べよう。そう思って扉を閉めようとした。
「待った待った待った!」
 梓紗が慌てたように私の腕を掴み、ぐいぐいと食堂に引きずりこむ。
「すまないね。皆で楽しんでるところに乱入してしまって。部外者は部屋に戻るから――」
「いいの! 傑も一緒で」
「でも……」
「今日は何日でしょーか」
 悟が妙にニヤニヤしながら質問してきた。今日は何日って……何日だったかな。二日? 携帯で日付を確認すると、画面には二月三日と表示された。二月三日……
「……あ」
「傑、誕生日おめでとう。はい、これ付けてね」
 梓紗は嬉しそうに「本日の主役」と書かれた襷と、ケーキの形をした柔らかい帽子を私に押し付けてきた。
「襷はともかく……この帽子、被らなきゃダメかな」
「ダメ。私もアホみたいな触角カチューシャ着けてるし、硝子だってギラギラ三角帽子被ってんだから」
 梓紗の圧に負けて、仕方なく私は「本日の主役」襷をかけて、ケーキの帽子を被った。彼女は満足げに笑って、皆のいるテーブルに戻っていった。よく見ると彼女の襷には「本日の主役二号」と書かれている。
「え、もしかして梓紗って」
「うん。実は私も今日が誕生日なの」
 傑の席はここね、と梓紗は悪戯っぽく笑って自分の隣をポンポンと叩く。今日は席次が決まっているらしい。言われた通り、彼女の隣の席に座るとすかさずコップに麦茶を注いでくれた。
「じゃ、主役も揃ったことだし始めよっか。お腹空いちゃった」
「梓紗、傑、お誕生日おめでとう」
「乾杯!」
 麦茶の入ったコップを高らかに掲げてグラスをぶつけ合い、パーティーが始まった。

 テーブルの上にはたくさんの料理が並んでいる。寿司にピザ、チキン、サンドイッチ。フルーツの盛り合わせもある。フルーツは彼女のリクエストだろうか。
「よくこれだけの量を用意したね」
「傑が任務に行ってる間に夜蛾先生に車を出してもらったんだ。ちなみに、この寿司は夜蝦先生の奢り」
「つーか、なんで今日に限ってコイツに任務終わったってメールしねぇんだよ」
 悟に指摘されて、大げさなくらい心臓が跳ねる。
「……ああ、忘れてた」
 あくまでも冷静に返事をする。やましいことは何もない。私はただ、任務のついでに梓紗の買い物もしてあげようと思ってメールしているだけなんだから。彼女もそうしてくれてるし。そう、言ってみれば相互扶助みたいなものなんだ。
「本当はもっと盛大に“出迎えて”やる予定だったんだ。残念だな」
 硝子は心底残念そうに“出迎え”ができなかったことを悔やんでいた。一体どんな方法で“出迎え”るはずだったのかは、聞かないことにしよう。
「それで私が入ってきたときに変な顔してたのか」
「いやぁ、これから仕込みを始めようってときだったからさ。もっと任務が長引くと思ってたんだけど」
「だから言ったろ。傑ならあれくらい楽勝だから早めに準備したほうがいいって」
「勝ち誇んな。五条の早めは早すぎる」
「でも結果的に失敗してんだろ。せっかく時間かけていろいろ用意したってのに……」
「そもそも傑からのメールありきの計画に無理があったんだよ。約束してるわけじゃないって言ったじゃん」
 私を放置して言い争う三人。そのやりとりを聞いて、ここ最近の三人の様子がおかしかった理由が理解できた。悟がやたらと私の任務について聞き出そうとするのも、硝子が煙草休憩と称して頻繁にどこかに出かけていたのも、彼女がやたらとメールを送ってきたのも、全部今日のためだったのか。
 私は担任の奢りだという寿司を自分の皿に取り分ける。大トロ、いくら、うに、かに。随分と豪勢だ。きっと梓紗が上手いことねだったんだろう。そういうのは私たちの中では彼女が一番得意だった。
「そういえば梓紗も今日が誕生日なんだろう? 主催側でいいのかい?」
「うん。なんかその方が楽しそうだったから」
 彼女は骨付きチキンをナイフとフォークで綺麗に解体しながら答えた。そういえば彼女は食べ物で手が汚れるのが好きじゃないんだっけ。さり気なくウェットティッシュの箱を梓紗の前に置いてあげると、彼女はありがとうと笑ってくれた。

「それにしても、夏油と梓紗が同じ誕生日だなんてね」
 ちまちまとフライドポテトを摘まんでいた硝子がしみじみと呟く。
「ほんとにね。初めて聞いたときは私もびっくりしたよ」
「あれ、梓紗に教えたっけ?」
「うん。入学したときに聞いた。それで私も同じ誕生日なんだって話したんだけど」
「そう、だっけ」
 全く思い出せない。あの時は緊張もしてたし、梓紗のことも良く知らなくて、その……興味も持ってなかったから。返答に詰まって宙を彷徨った視線が硝子を捉える。硝子は私が困っているのを見て面白がっていた。たぶん、いや確実に硝子は“気付いて”いる。もうバレてるなら隠したって仕方ない。私は硝子に助けてくれと視線で訴えた。私からのSOSを受信した硝子は、人差し指を立てて見せる。一つ貸しだぞ、ってところか。
「梓紗ってそういう細かいこと覚えるの得意だよね」
「そうでもないよ。傑のことは同じ誕生日だと星占いの結果が全部同じになるなって思ったから」
「オマエ、星占いとか信じてんの?」
 さっきまでピザに夢中だった悟が口を出してきた。悟の顔には分かりやすく「ありえねー」と書いてある。
「そりゃあ信じちゃうでしょ。高専に入るまで呪術のことなんて何にも知らなくて、自分にしか見えないモノがあって、自分にしか使えない力があるんだったら、占いも本物かもしれないって思うじゃん」
「そうかぁ?」
「言っとくけど、本当に小さい頃の話だからね。なんなら私は漫画やアニメの主人公なんじゃないかって思ったもん。傑もそう思ったことない? 初めて呪霊を見たときに、自分は選ばれし主人公なんだって思ったことあるでしょ?」
 彼女は私の二の腕あたりをぽん、と軽く叩く。たったそれだけなのに口から心臓が飛びだしそうになるくらいどきりとした。どきどきしてるのを悟られないように、思い出すのに時間がかかったような振りをしてみせる。
「まぁ……幼稚園生くらいの頃は、そうだったかな」
 変な怪物みたいなのが見えて、怖くて振り回した腕がたまたまその怪物にぶつかったら消えていった。未就学児だった私が勘違いするのも無理はない。どの番組でもヒーローは正体を明かしてはいけないという設定だったから、他の子に言いふらすことはなかった。親にも内緒だ。夜、ベッドに入って暗い天井を見上げながら密かに“選ばれた”喜びを噛み締めていた。
 ……しばらくして、自分の術式の特性を知ったときには絶望したけれど。
「だよねだよね! そんな傑には仲間の証として、このうに軍艦をあげよう」
 梓紗はにこにこしながら私の皿に、彼女の箸を使って、うに軍艦を乗せた。
「あ、ありがとう」
 意識し過ぎだ。梓紗は悟と同じでパーソナルスペースが狭いだけ。今の行動だって他意はない。その、間接キスとか……そんなことすらも考えてない。
 どうってことない任務だと思っていたけど、思ったよりも疲れてるみたいだ。自分の気持ちをコントロールできない。
「それじゃラッキーカラーとか気にするタイプ?」
「んー、今は信じてない」
「そうなんだ」
「だって考えてもみてよ。特級術師の傑と、雑魚のへっぽこ呪術師の私。誕生日が一緒だから同じ運命とか、そんなの絶対嘘じゃん」
「なんだその理論」
「実際のところ占い師って呪術的にはどうなの?」
「どうって言われてもな……よく当たるって言われてた占い師の中には呪術師がいた可能はあるんじゃねぇの」
 そこから梓紗は悟と占いと呪術の関係について話し始めてしまった。こうなってはもう私にはついていけない。私は大人しく目の前の料理を片付けることにした。
 少しして、制服のポケットで携帯が震えた。
『アシストいる?』
 硝子からのメールだった。思わず送り主の方に視線をやると、ニヤニヤしながらスティックきゅうりを齧っていた。やっぱり硝子は私の気持ちに気付いてる。そんなに分かり易く態度に出したつもりはなかったんだけどな。滲み出るものでもあったんだろうか。
 私は何食わぬ顔で返信を打つ。
『頼む。今度、何か奢るよ』
 硝子は携帯の画面を一瞥すると、残ったきゅうりを口に放り込んだ。
「五条、飲み物買い足しに行こう」
「は? 麦茶なら十分あるだろ」
「炭酸がなくなった。それにライターがない」
「でもライターは自分のがあるから良いって――」
「うん。今見たら、もう中身がなかった」
 硝子はポケットから使い捨てライターを取り出して見せる。安っぽいオレンジの中身は確かに空だった。
「うわ、マジかよ。しかたねーな。ちょっと行ってくる。あ、寿司、全部食うなよな」
「食べないよ。いってらっしゃい」
 悟と硝子は気の抜けた返事をして食堂を出て行った。

 二人きりになった食堂は静かだった。
 彼女と何を話そうか。いつかこんな時がきたらとシミュレーションしてたのに、いざその時になってみたら何も思いつかない。
「傑って、何か好きなものある?」
「え? す、好きなもの?」
 梓紗の唐突な質問にどぎまぎしてしまう。今日は振り回されてばっかりだ。もっとスマートにお喋りするはずだったのに。
「誕生日プレゼント。実は用意できてなくって。だから今度買ってこようと思うんだけど」
「気にしないで。誕生日パーティーを開いてくれたし、私のことを気にかけてくれたその気持ちだけで嬉しいよ」
 いや、半分は嘘だ。本当はめちゃくちゃ欲しい。モノはなんだって良い。梓紗からのプレゼントならどんなものでも私の宝物だ。
 ……そうか。プレゼントか。その手があった。
「でも、せっかくだから、私とプレゼント交換でもしないかい?」
「プレゼント交換?」
「そう。梓紗も誕生日なのに私だけ一方的にもらうのは変だろう? だからお互いに同じ予算でプレゼントを買ってきて交換するんだ」
「それ、良い! 絶対楽しいやつ!」
 梓紗の目がキラキラと輝く。そして私の腕を掴んで嬉しそうに左右に揺らした。
「ね、せっかくだから今度の休みに一緒に買いに行こうよ。それでその場で交換しよ」
 彼女の仕草は親に遊園地に連れて行ってと頼む子どもみたいだった。もしかして異性として見られてないのか? そんな不安が頭をよぎる。
「それってデートのお誘いってことで良いのかな?」
 だから少し意地悪な質問をしてみた。いやらしさは極力排除して、いざという時は逃げられるようにおどけた雰囲気で。
 梓紗の丸い目がさらに丸くなる。ああ、やってしまったかもしれないな。彼女が驚いてる間に訂正しなくては。
「ごめんごめん。冗だ――」
「そうだよ」
 今度は私が目を見開く番だった。
「お買い物デート。嫌だった?」
 梓紗がいたずらっぽく笑う。してやられた。
「いや、嬉しいよ」

◇ ◇ ◇

「夏油様、お誕生日おめでとう!」
「これ、二人からのプレゼント」
 夜遅くに私の部屋を訪ねてきた菜々子と美々子は、喜びと不安、そして緊張の混じった表情で私にプレゼントを渡してくれた。サテンのリボンを引っ張って、不織布の袋から中身を取り出す。
「これは……」
 中に入っていたのはマフラーだった。柔らかな手触りから良い物であることは伺える。二人でお金を貯めて選んでくれたのだろう。
「夏油様の着物にも似合うかなって思って選んだの」
「今使ってるの、随分古いみたいだから」
「ありがとう。嬉しいよ。早速今日から使わせてもらおうかな」
 私の言葉に二人は嬉しそうにきゃあきゃあと悲鳴を上げて、慌ただしく部屋を出て行った。

 私は二人を見送り、クローゼットから古いマフラーを取り出す。梓紗とプレゼント交換をしたときにもらったものだった。あの時の彼女も、さっきの二人みたいに期待と不安が入り交じった表情をしていたっけ。
「誕生日が同じ日だから同じ運命、ね」
 毎年この日になると彼女のあの言葉を思い出す。確かに梓紗の言う通りだ。私と彼女が同じ運命だなんてあり得ない。確かに私も彼女も呪術師にはならなかった。私は高専を飛び出して今や立派な呪詛師で、彼女は補助監督。これを同じ運命と呼ぶのはいささか強引だ。
「やっぱり勧誘しておけばよかったかな」
 梓紗が補助監督になったのは右腕を失ったからだ。彼女の中学時代の友達が呪霊に襲われ、助けようとして右腕を負傷したのだ。梓紗の友達だという女は興味本位で呪物にいたずらをしたらしい。梓紗は一番の友達を助けられたんだから名誉の負傷だ、なんて殊勝に笑ってたけど、その“一番の友達”とやらのせいで彼女は利き腕を失ったのだ。その心中は察するに余りある。

 今ごろどうしてるのだろうか。悟や硝子と一緒に誕生日パーティーでもしてるのだろうか。きっとしてるんだろうな。あの子はイベントごとは欠かさない子だから。少しは私のことも思い出してくれてるといいんだけど。
「夏油様。少し、宜しいでしょうか」
 扉の向こうから菅田の声がした。こんな時間に珍しいな。私は古いマフラーをクローゼットに押し込んでどうぞと声をかけた。菅田は律儀に軽く会釈をしてから私の部屋に入ってきた。
「それは?」
「ああ、菜々子と美々子からもらったんだ。似合うかい?」
「ええ、よくお似合いです」
「それで? どうしたんだい?」
「プレゼント、と言えるかどうかは分かりませんが、良い報告が」
 菅田は私に一枚の報告書を手渡した。報告書には子どもの写真が添えられている。何かに怯えるように背中を丸めている少年の写真だ。菜々子たちと同じくらいの年齢だろうか。
「この子がどうかしたのかい」
「この少年は呪われています。それも特級過呪怨霊に」
「特級過呪怨霊だって?」
 経緯は分からないが、突如として非術師の少年が特級過呪怨霊に呪われてしまったのだそうだ。その少年に危害を加えようとする相手を攻撃するようで、既に高専の一級呪術師が何人も返り討ちに遭っているらしい。
「ありがとう。これは……素晴らしいプレゼントだ」
 特級過呪怨霊が手に入れば私の計画は大きく前進する。五年、いや十年近く前倒しにできる。
「既に情報収集の手筈は整えています」
「仕事が早いね」
 これから忙しくなる。高専とも全面的にぶつかることになるだろう。もちろん、悟や硝子、それに彼女とも。
「明日の午後、皆に会議室に集まるよう連絡してくれ。今の話と、今後の計画について話さなくては」
 菅田は嬉しそうに頷き、来たときと同じように綺麗なお辞儀をして部屋を出て行った。

「いい加減、捨てるか」
 もう新しいマフラーも貰ったし。いつまでも古い物に固執しても仕方がない。

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